カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜 Vo6. 【結城 晋平・さつきさん】人との繋がりを築く。表札となる雑穀づくり
現在、農家プロデュース&デザイン集団の「HYAKUSHO」では、クラウドファンディングプラットフォーム「CAMPFIRE」を通じて資金調達に成功した「農家さんの 365 日をそのまま伝える HYAKUSHO カレンダー」の制作プロジェクトを実施中です。
カレンダーは、ひと月にひとりずつ農家さんをご紹介。農家さんへの取材から見えたストーリーを通して、農家さんと消費者を繋げることを目指し、2022年に向けてお届けできるよう、走り出しています。
こちらのnoteにて展開するWEB連載「カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜」では、農家さんへの取材から見えた「つくり手の生き方」を、より詳しくお伝えしていきます。ぜひ読者の皆さんにも、農家さんと一緒にお茶を飲みながら、お話を聞いているような気分を味わっていただけると幸いです。
今回の農家さんは、長野県伊那市高遠・長谷エリアで「おかめひょっとこ農場」を営む、結城 晋平(ゆうき しんぺい)・さつきさん夫妻です。2014年に、さつきさんの故郷である長野県へ首都圏からUターン。初めは薪ストーブ企業で会社員として務めていた晋平さんでしたが、次第に農業に面白さを感じ始め、2年後には農家の暮らしを始めます。
さらに縁があって始まったのが雑穀の栽培事業。日本の雑穀生産者数は少なく、国内の生産量は需要量の半分以下にとどまると言われています。
「雑穀は生産者が少ない。だからこそおもしろい」と語る結城夫妻。人との出会いを生み出す表札のような雑穀事業について伺いました。
食卓から福を。「おかめひょっとこ農場」
遠くには北アルプスが見える長谷の山裾、畑に段々と整備されているのは「おかめ ひょっとこ農場」です。1度聞いたら忘れられないこの名は、焚火や火起こしが好きな晋平さんが由来。「ひょっとこ」の漢字表記は「火男」。ひょっとこの口は、火に風を送るために竹筒を吹いている様子とも言われます。
さつきさん 「火起こしの様子を、農業に重ね合わせました。火を起こす時、最初は小さい木に火をつけて段々と大きい薪にしなければ、燃えていきません。
それは野菜と一緒。種から苗に育てて、やっと大きな畑に移します。私達は『ひょっとこ』となって最初は小さく、少しづつ、また少しづつ息吹を大きくして、その成長を支えるんです」
そして「ひょっとこ」と対になるのが「おたふく」。どちらも祭りの舞で被られる面で、おめでたい存在です。
晋平さん 「人生いろいろあるけれど、美味しいものを食べて、毎日楽しければいいじゃない。食卓から福が舞い込みますように、という願いを込めて付けました。」
家族と人生を考えた末の、Uターン就農
おふたりは7年前、さつきさんの故郷である長野県に、横浜からUターンしました。発端は、家族との繋がりを考え直したことです。
晋平さん 「父が亡くなったことをきっかけに、改めて家族について考えました。続けて起きた東日本大震災も、少なからず影響がありましたね。僕の兄弟は多いので、親は彼らに任せて、その代わりに妻の親に何かあったときに駆けつけられる場所にいたいと思い、長野への移住を決めました。」
長野県伊那市へ移住し、薪ストーブ会社に就職。そして30歳になったのを境に、生き方について考え始めます。それから農家の道に進むまで、時間はかかりませんでした。
晋平さん 「はたと気がつくじゃないですか。あと30年で60歳、このまま毎日つまらないと、ぼやきながらジジイになるのかと。そうすると、とてつもない恐怖が襲ってきた(笑)。
若い頃は目をつぶって生きてこれたけれど、なんのために生まれてきたのか、死ぬまでに何ができるのかを考え直した時に、いよいよ自分に嘘が付けなくなった。上から言われたからやるのではなく自分で方向を定めたい。そして、農的な生き方をしてみたいと考えました。」
退職して有機農業法人で1年半ほどの研修を経て、独立。おかめひょっとこ農場を立ち上げます。雑穀との出会いがあったのはその3年後でした。
晋平さん 「雑穀事業をされていた方の畑で、収穫の手伝いをしたんです。雑穀畑に行くと雑草がジャングルのようにボーボーに生えていて「これは大変だ。自分じゃ、やりたくないなぁ』と思っていたところです。お昼休憩で案内されたお宅が素敵で『いい家ですねえ』って思わず褒めたら『この家いる?』って言われて。耳を疑いました(笑)。
よくよく聞いてみると、その方は沖縄へ移住する夢があったようで、雑穀事業の引き継ぎ先を探していたんです。そこに家も付けるよって(笑)」
事業継承の話が舞い込んだ後、縁の流れに身を任せてみたら、とんとん拍子に話が進みました。自分に雑穀が合わなければ手を引こうと考えていたそうですが「やってみたら楽しかった」とのこと。
晋平さん 「物事を自分で決めるより、目の前にそうせざるをえないことが起きて選択をしていくと、おのずと良い道が開ける。余程のことでなければ断らない。僕の人生は、それがいいみたい。」
少ないからこそ特別になれる雑穀事業
日本の雑穀生産者の数は、非常に少ないのが現状です。雑穀は、山間部や冷害など土地や気象条件が悪くても育てやすいのですが、国内の生産量は全需要の半分以下にとどまります。さらに後継者不足によって、増加傾向にある今後の需要をまかなうにはどんどん担い手が足りなくなっていくというのです。
晋平さん 「実は農家の間では、雑穀は米に比べて『貧しい』イメージがあるんです。
『米は一生懸命作って、お上に献上するもの。自分たちはまずい雑穀を食べる』。このイメージが年配の方には根強くあるみたい。『鳥のエサつくってるのか?』って言われることもありました。
その気持ちも分かります。『戦後俺たちは米を作って、日本の人口増加を支えてきた』という誇りがあるんです。さらに伊那の山間部で米をつくれるように、田んぼを基盤整備するのも大変だったと聞きます。」
一方で、日本人を古代から支えてきた歴史が雑穀にはあります。雑穀のおかげで日本人の健康が維持されていた説もあるほど、栄養価の高い食べ物です。
健康食品としての認識は以前よりありましたが、コロナ禍による健康意識の高まりによって、さらに見直されて市場は伸びているのだそう。晋平さんを頼るメーカーの人脈が広がり、それが晋平さんのやりがいを作ります。
晋平さん 「いろんな企業の方と繋がれるのが面白いです。雑穀を手掛ける人が少ないからこそ、僕に声を掛けていただける。
僕は、たまたまの人生を歩んできた、ただのおじさんのはずなのに、社長さんや大手企業さんから事業のお話をいただいたり、作付けのご提案をいただいたりしています。
珍しい雑穀ってだけで話が盛り上がる。雑穀をもとに、自分の裁量で物事を動かしていけることが刺激的です。もっと、とんがっていけるように頑張りたいですね。」
農家と個人、企業が、雑穀を通して繋がっていく
晋平さん 「30代の時の、自問に答えられたかどうか分からないけれど、とりあえず、毎日ぐっすり寝られるからいいんじゃないかな。
その季節ごとの美味しいものや、自分の畑でとれた野菜を食べて、布団に入ってパタっと寝る。そして朝3時くらいから『よし、今日はあれをやって、あれやって・・・』と企てるのがとても楽しい。」
自己の采配で仕事を決められる生活に満足している晋平さん。この農場でアルバイトとして働いている方にも、やりがいを持ってもらえるように工夫することも忘れません。今後は規模を拡大して、もっと雇用を生み出すことを視野に入れています。
晋平さん 「金持ちになりたいとかではないんです。この豊かな山の暮らしを守るために、仲間を増やしたいんです。例えば、山間部の暮らしは集落単位での維持が基本なのですが、次を支える世代が入ってこないのが現状です。
仕事を生み出すことは、この地に根付いて暮らしていける人達が増えること。この地での生活が成り立つための支えになります。専業農家になる必要は無くて、農家の仕事を半分、他の仕事を半分で、生計が成り立つ新しい生き方を選択する人たちが出てくればいいなと思います。」
生活圏が今後も続くように事業拡大を目指しますが、一気に背伸びをするのではなく、ちょっとずつ、人の繋がりを広げることで、確実な成長していくことが、おふたりの意向です。
さつきさん 「私が販売を担当しているのですが、購入していただいた方には、メッセージカードをつけています。作業時間がかかることだけど、それが次に繋がるものになります。
人と人が繋がっている、という感覚を強く持ってもらえているんだと思います。」
晋平さん 「お客さんにとって『おかめさん』と繋がっているという感覚だと思います。農家と消費者が手を取り合っていきたい、というのが根本にありますね。
個人のお客さん、企業のお客さん共に、人としての繋がりを大事にしたいと思っています。」
希少な雑穀事業は、ほかと区別できる表札のよう。ご夫妻の人柄との相乗効果で、人との確実な繋がりが築かれていきます。
【おかめひょっとこ農場】
南アルプスの女王、仙丈ヶ岳の麓に位置する長野県伊那市長谷地区で長谷在来の雑穀や小麦を栽培しています。 標高900mの中山間地であるこの地で育った雑穀達はさんさんと降り注ぐ太陽と南アルプスから流れる清らかな水で作られています。 近くにはゼロ磁場で有名な分杭峠などもあり、つぶつぶひとつひとつに力強さがあります。 皆様の食卓から福が舞い込んでくるよう、おいしい元気な雑穀をお届け致します。