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#106 昇段審査
合気道の昇段審査を受け、合格して晴れて参段(三段)となった。
いいおじさんになってからというもの、人前で緊張することなどそれほどなかったのだが、審査の半月くらい前からずっと落ち着かなかった。そして審査が始まるとすぐに頭が真っ白になった。必死だったことは間違いないが、内容はあまり覚えていない。いくつか技を失敗した瞬間だけはなぜか鮮明に覚えている。受け(技を受ける相手)をしてくれた大学院生らによると、動きが速くて鬼気迫るようだった、とのことだった。審査を終え、礼をして立ち上がろうとしたら、膝が抜けてよろけてしまった。
先生から合格との結果を告げられたとき、喜びが爆発したり、大きく安堵するかと思ったが、そんなことはなかった。いくつか失敗したことが残念で、もっと真剣に取り組まねばならない、もっと上手になりたい、と強く思ったことが、自分でも意外だった。
講評では、とにかくよく動けていた、とお褒めの言葉もいただいたが、優しくかつ婉曲な表現で、基本的な部分でできていなかったところがいくつかある、と内容的には厳しい指摘を受けたと思う。猛省したい。
私の通う道場では年に2回、八段の師範から直接指導を受けられる特別稽古がある。昨年の春の特別稽古の際、1年半後に昇段審査を受けるよう、師範に言われた。この1年半というのが絶妙だった。師範も1年では膨大な量の課題がとても覚えられないと思ったのだろう。かといって2年では間延びがする。気持ち的に張り詰めたこの1年半は、長い呪縛の期間でもあった。
大小合わせて100以上の技を披露しなくてはならない。とにかく技を覚えるのに必死だった。先生に教えてもらい、その場では動けても、翌週には忘れている。こんなことの繰り返し。30分近く動き続けなれけばならないため、体力的にも不安は大きかった。
パソコンで審査技の一覧表を作り、稽古の合間に汚い字でメモを取り、毎週稽古後に、動きや気をつけることなど、注意書きを書き加えたり修正して更新した。「こんなん覚えられるか!」と心の中で叫びながら、仕事の合間に書類を読むフリをして連日、技表に目を通した。深夜の職場のロッカールームで、動画を見ながら怪しい動きを繰り返した。長時間に及ぶ審査を乗り切る体力をつけるため、ジムにも通った(体重は落ちなかった)。出来はともかく、技をひと通り覚えてなんとか審査に耐えうるかな、と思えるまでに、まさに1年半かかった。
合気道を始めたきっかけは、仕事に疲れ果てていたころに読んだ内田樹の著書だった。強い父親でありたい、と思ったのも理由のひとつ。通わせてくれた妻に感謝している。入門して17年での参段というのは、早いとはいえないだろうが、人と比べるものでもない。毎週の稽古で技を失敗するたびに、自分は才能がない、と落胆してきた。だが、合気道を面白いと感じて17年間続けてきたというのは、継続という一番大事な才能がある証左ではないか、と最近思うようになった。
それでも、参段は自分には重すぎる段位だとひしひしと感じている。段位にふさわしい技量を備えた人格者でいなければ、と思わずにはいられない。昇段というシステムには、そういう効果も狙いにあるのではないか。
とにかく、指導してくれた師範・講師の方々、稽古の相手をたくさんしてくれた仲間には感謝しかありません。みなさんのおかげで祝勝会でも楽しくおいしいお酒がいただけました。気の利いた言葉も思い浮かびませんが、本当にありがとうございました。のんびりとですが、今後も精進します。
ちょっと真面目に書いてしまいました。長々とすみません。