百貨店は万博からヒントを得て誕生したという話。
過去の記事で、衝動買いという人間の行動を発明したのは百貨店であるという話を書きました。でも、客が衝動買いした後に、それを購入したことを後悔してしまうようでは、その商店は永くは続きません。一過性のブームで終わってしまいます。欲望に身を委ね衝動買いしたとしても、「これは長い目で見れば倹約になる」とか、「自分がさらに良い生活をするために必要な買い物だったのだ」とか、購買の後でそれを合理化できるような理由(もしくは言い訳)が必要です。そうして正当化できるから、客はリピートして商店を訪れ、購買を繰り返すのです。
今回の記事では、19世紀後半~20世紀前半にかけての人々が、百貨店で衝動買いしたあとにどんな言い訳をしていたか、というお話をしたいと思います。
19世紀~20世紀の民衆が考えていたこと
当時の欧米は、産業革命の影響によって中流階級が多く台頭し、さらに豊かな生活をしたいという上昇志向の強い人々が多い、そんな世の中でした(今の中国やASEAN諸国のようですね)。それは、日本においてもそうですが、日本においてはそれに加え、「西欧式のライフスタイルを自分の生活に取り入れてみたい。でも、自分にはあんな華やかなもの似合わないかも…でも憧れるなぁ。」ってそんな感じのことを考えている人々が多かったようです。
世界初の百貨店は万国博覧会からヒントを得た
さて、目立つ看板を立てたり、ポスターを作ってみたり、ショーウィンドウといったり、小売店としての販売手法のヒントは、過去の記事でも書いたように、19世紀前半にパリで流行していた「マガザン・ド・ヌヴォルテ」という種の商店たちでした。もう一方で、百貨店が小売店にも関わらず、ルネッサンス様式やゴシック様式の建物で、中に入るとギリシャ神殿のような柱が立ち並び、BGMにはクラッシック等の音楽が流れる、そんな祝祭空間といえるような壮大な空間となった背景というのはどういものななんでしょうか。
それは、世界初の百貨店ボン・マルシェが、1855年と1967年にパリで開催された万国博覧会(万博)からヒントを得て作られたことだといえます。
万博の原点は、この世に存在するあらゆる事物を、おとぎ話のようなパヴィリオンの中に展示し、民衆をこれらの事物の力で啓発・教育するというところにあったといわれています。
ただし、実際のところ万博では、あまりにも商品が輝いて価値が神聖化されてしまい、商品の使用価値が後退してしまったようです。つまり、民衆は「わぁすごい。」と思うだけで、そしてそれを生活に取り入れてみたい、と民衆に思わせるところまではたどり着けなかったようです。
そのギャップを埋めたのが、世界初の百貨店「ボン・マルシェ」です。万博は品物を展示するだけで、しかも期間限定であったのが、百貨店では、品物をその場で購入することができ、そして毎日営業しています。
さらに、ボン・マルシェは、ただ展示し販売するだけでなく、中流階級向けに、アッパーミドルとしてのライフスタイルを啓蒙していました。そして中流階級の人々がよりよい生活をするために、(当時の万博で展示されていたようなものも含んだ)品物をどう生活に取り入れ、どんなライフスタイルを送るべきかを教育したのです。
これこそが、冒頭の「言い訳」にあたります。華やかなディスプレイやキャンペーンセールに惑わされて、ついつい当初の予定以上に出費をしてしまったとしても、「これも自分がより良い生活を送るために必要なことだから。それをセール中の安い値段で買えたんだから。」と、後々にその購買を正当化する理由がお客にきちんと与えることができていたのです。
日本の百貨店も、万博の発展形といえる。
ここからは余談ではありますが、日本の百貨店の話もしましょう。
1914年(大正3年)10月1日にオープンした日本の三越百貨店新本店には、エスカレーターやエレベーター、暖房換気装置など、当時最新の設備を導入しました。それこそ、万博のパヴィリオンでお金を払って乗るような乗り物であったエスカレーターやエレベーターに、三越に行けば無料で乗れたわけです。それ目当てに来店するお客も大勢いたといいます(もちろんその多くは、そのついでに商品を購入していたことでしたでしょう。)今でいう、ARやVR技術が、商業空間に組み込まれているようなものといえるでしょう。
また、当時の高島屋では店内に鉄道が走っていました。当時の呉服店や百貨店は、下足禁止で、客は入口で履物を店員に預け、ぞうりに履き替えるか足袋か裸足で店内に入っていました。そこで、1907年(明治40年)、まだ呉服店であった高島屋は大阪心斎橋店を洋風に改装し、その際に、下駄運搬装置として鉄道を設けました。これも運賃は無料でした。
こういった、百貨店の中に存在し体験できる最新設備、そして壮大な外観や内観にBGMとして流れる西欧音楽…。当時の民衆にとってこの体験は、今でいうディズニーランドのそれのような、そんなわくわくするファンタスティックな体験だったのです。
まとめ
このように、百貨店というものは、万国博覧会のように、おとぎ話のようなパヴィリオンの中に品物を展示して、それを常時開設化させたうえで、商売と結び付けながら、より良いライフスタイルを啓蒙し続けている大型商店であったのです。
…ただし、2020年現在の百貨店を見てみると、残念ながらそんな空間であるとは言いづらいですよね。(そのうち、百貨店が今の地位に凋落した原因についても書いてみたいと思います。)
よく「小売業とは、購買代理業務である」という言い方をされますが、この購買代理としての観点から考えると、その祖先は万博にあたるとの考えることもできるでしょう。その理由はこの記事に書いた通りですが、やはりマーケティングの教科書を読み漁るだけでは、本質には辿り着けない場合が多いのです。
2020年現在においても、万博が提示する近未来の夢のような世界、これを商業にどう組み込んで、どんなライフスタイルを提案し、民衆の生活をアップデートしていくのか。あるいは、最新技術が普及した後でも不変なものは何で、そのためにこれからの世でどんなライフスタイルを提案するのか。
もちろん取り扱う商材や業界によって異なりはしますが、こういった志向を持つことこそ、今も昔も変わらず、小売店(購買代理業務)に求められている本質のように思うのです。
※参考文献
鹿島茂 「デパートを発明した夫婦」
林 洋海 「<三越>をつくったサムライ 日比翁助」
宮野 力哉 「絵とき百貨店『文化誌』」