消費社会の起源を刻明に描いた百貨店の物語「ボヌール・デ・ダム百貨店」を読んで思う、時代の変革について
マーケッターこそ小説を読むべき理由
これまでに記事で書いてきたように、19世紀にフランス・パリで誕生した「百貨店」という商業形態は、「正札販売」「大量仕入れによる低価格での販売」、「ショーウィンドウによる購買意欲の喚起」など、それまでの商売にはなかった販売手法を発明し、人々の消費行動、そして生活を一変させていきました。
学術的な視点や、現代に行われている販売手法と比較するような視点で、当時の百貨店の様子を知ろうとするなら、『デパートを発明した夫婦』という本を読めばよいかと思いますが、ただ、それだけでは当時の人々がどう感じ何を考えていたか、そしてどのように生活が変わったかというのは、全体像しかわからず、温度感まで感じることは難しいです。だから、「ペルソナ設定のないマーケティング」のような状態となってしまいます。
そういうときに、「小説」を読むと、そういった人々の感情がリアルに伝わってきます。(だから、BtoCのマーケッターは、これに限らず小説をよく読むべきだと思う。。とはいえ僕自身もあまり読めていないけど。)
ということで、「百貨店という販売形態の誕生の衝撃と、その変革の渦の中の人々の様子」をリアルに感じたく、『ボヌール・デ・ダム百貨店』という小説を読みました。
ボヌール・デ・ダム百貨店を読んで
この本を読んで感じたことは、大きく分けると下記の2つです。
・どの時代も、「時代の変化についていけない人々」という人は一定存在するものだなということ。
・プライドとか恋愛とか性的な衝動とか嫉妬とか、結局はそういう「感情」で人々は動くものだなということ
(予想以上に、昼ドラのようにドロドロした人間関係が描かれていました。ただ、そういった人間関係を描くことで、衝動買いという消費行動を発見した百貨店の誕生の衝撃がうまく表現されている、という側面があります。)
当時の世の中においては、画期的過ぎてまぶしすぎるような商品のディスプレイ手法や空間演出により、どんどんと衝動的に購入し破産に近づくような夫人、あるいは病的に万引きにはまっていく、人の様子は、やはり小説で読むと多少の感情移入もするしリアルに感じました。現代においては、皆がこういった販売手法の刺激に慣れていて、なんとも感じないことが多いけど、でも潜在意識とかそういうところでは、こういう刺激が生じていて多少なりとも、思考や行動に影響を与えているんでしょう。
また、旧来の販売手法に固執して、百貨店という巨大組織の波にのまれ破産していく商店の人々は、なんだか現代において、頑なにIT化を拒むおじさんたちの姿とかぶりました。だからつまり、2021年現在と19世紀後半のパリは、やっぱり似ているなぁと改めて思いました。
著者さえも理解できていなかった「教育装置としての百貨店」の役割
この小説にも描き切れていないというか、著者のゾラさえが、百貨店のことを理解しきれていなかったことがあります。それは、『デパートを発明した夫婦』の中でも鹿島茂氏が指摘しいた通り、「教育装置としての役割」です。
この小説では、「人々(特に女性たち)の欲望を完全に理解しコントロールしてしまう怪物のようなもの」として、百貨店が描かれています。
しかし、実際の当時の百貨店…少なくとも「ボン・マルシェ」という百貨店は、もちろんそういった購買心理のテクニックを駆使していましたが、「より高貴な生活をしたい」という中流階級や労働者階級の人々を、商売ということを通じて教育し導く役割も果たしていました。今でいうLTVやAMTUL的な発想に近く、ただその時に商品を買ってもらうのではなく、「商品の宣伝や購買を通じて、より高貴な生活スタイルを教育・提案し、末永く商店を利用してもらう」ということまでも狙っていました。
この小説の著者であるゾラは、実地調査を念入りに行い、店員などへのインタビューも行ったうえで、この小説を執筆したそうですが、それでもそういった百貨店の教育的な側面までは見抜けなかったようです。というか、百貨店の利用者はもちろん、店員でさえもそこまで理解していた人はごく少数だったのでしょう。そういったことさえも、当時の人々が、百貨店にどのように魅了され、またどのように恐れおののいたのか、ということがリアルに伝わってくる気がします。全体像を理解できないくらい、百貨店という新しい商業形態は当時あまりに斬新で、人々の欲望をコントロールする怪物のようだったのです。
消費資本主義という宗教の神殿=百貨店
この小説の後半に、
「(百貨店は)消費資本主義という宗教の神様に捧げられた大聖堂である。」
という表現があります。セール時の百貨店の大混雑の中に吸い寄せられていく女性たちの様子は、百貨店に自分の信仰をささげているように見えた、と。
現代の私たちの感覚だと、セール時の混雑はある意味当たりまえで、宗教に例えるという発想はなかなか沸いてこないですが、当時の人々にとっては、キリスト教に代わる新しい宗教、というふうにも見えたのでしょう。
それはある人には斬新であり、ある人には大きな恐怖であり、いずれにせよ大きな時代の変革を感じるものだったのです。
その新宗教を創造する人、新宗教にのめりこむ人、その新宗教の歯車となる人、抵抗する人、抵抗しつつも受け入れる人、そういった様々な立場の人々を描いているのがこの小説なのです。
最後に
ということで、学術的な視点で19世紀末の百貨店の様子や素晴らしさを紹介した『デパートを発明した夫婦』と、当時の人々のリアルな視点から百貨店の様子を描いた小説『ボヌール・デ・ダム百貨店』この両方を読み、それを現代にどう応用していくか、ITやAI技術を使って、19世紀の百貨店が行ったことやその思想をどうレベルアップさせて実現させていくか、ということを僕は考えたいし、そんな仲間が増えるといいなぁと、改めて思った次第です。こんな僕に興味を持った方は、コメントとかいいねとかフォローとか、ぜひお願いしますね。