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士魂商才×デジタルマーケ最強説


利潤を追求しつつ、それで生んだ利益を自分たちだけでなく、客や従業員、さらには世の中に還元していく、今でいうなら「福利厚生がしっかりしている会社」とか、「CSRにもしっかり取り組んでいる会社」、最近であれば「SDGsに賛同して取り組んでいる」というのがそれにあたるんでしょう。

では、企業によるそういった活動が昔はなかったのかというと、決してそうではありません。そういった言葉がなかっただけで精神は明治時代にもあったわけです。特に、元武士にあたる人々が、「士魂商才」という精神でそれを体現しました。

「士魂商才」の精神で百貨店を作った日比翁助

三越を作った…つまり日本に百貨店を作った人物とされる日比翁助。
彼は元々は1860年に久留米藩の武士として生まれた人物です。

江戸時代、ご存知の方も多いと思いますが、「士農工商」という身分制度がありました。武士として生まれながら、時代の変遷とともに武士という職業がなくなり、そして士農工商の中で一番身分の低い「商人」という道に転身することを決断した日比翁助。その決断の裏には、彼の師であった福沢諭吉のある言葉があります。

それは、「士魂商才」です。

商売も学問なり、工業も学問なり、また一方より論ずれば、天の定則に従い心身を労してその報を得る者は商売なるゆえ、役人の政をなして月給を得るも商売なり、武士が軍役を勤めて禄を得るもまた商売なり。しかるに世の人みな武士役人の商売を貴く思い、物を売買し、物を製作する商売を卑しく思うはなぜぞ、ひっきょう商売を貴き学問と思わざりしは心得違いなり。

つまり、武士の放胆さと秩序を守る心、緻密に利害が計算できる商人の心の育成を求めました。その影響を受けた人物が、三越をつくった日比翁助であったり、「日本資本主義の父」と評される渋沢栄一であったり。。。

この士魂商才については、渋谷栄一の考えを紹介したほうが、現代人の我々にはピンとくると思います。鹿島茂さんの著作『渋沢栄一』には下記のようにあります(ちなみに鹿島茂さんは『デパートを発明した夫婦』の著者でもあります)。

大久保や西郷のような、富国の基になる産業の富がどこから出てくるかを理解しない太政官政府の面々に烈しいいらだちを覚えたが、その反面、うわべだけお上の言いつけに従いながら、その実、自分たちの利益しか考えない古いタイプの面従腹背の商人にも同じような怒りを感じていた。武士の魂をもちながら、一方では利潤の追求をおろそかにしない「産業人」を創出するしかないと渋沢は決意した。
(鹿島茂『渋沢栄一』より)


百貨店の話に戻りますが、日本に百貨店を作り普及させた偉人たちが、もし目先の利益・自分たちの利潤しか考えていなければ、日本に百貨店は存在しなかったかもしれないし、明治から大正にかけての、庶民の急速な西欧化は実現していなかったでしょう。イコール、第二次世界大戦開戦までの日本の急速な発展スピードは実現していなかったでしょう。

士魂商才の精神で、会社の利益も追求しつつ、世のため人のためを思って、当時の人々にとっての劇場空間・百貨店を作り上げたのです。

「士魂商才」を忘れてしまった戦後の百貨店

前回の記事で書いたように、1950年代の「消化仕入」や「委託販売」の導入によって、百貨店はスキルを失っていきました(それが明るみになったのがバブル崩壊以降です)。

ただし、「消化仕入」も「委託販売」も、百貨店側にとってはリスクがすくない方法であり、上手く活用することができれば、百貨店にとって大きなメリットがあったはずです。「消化仕入」を導入したのが百貨店衰退の1つの大きな"きっかけ"ではありますが、理由ではありません。

百貨店が衰退した理由を一言で表せば、「士魂商才」の精神を忘れてしまったことでしょう。目先の利益だったり、自分たちがリスク回避する方法をただ選んでみたり、あるいは余計なプライドが邪魔したり。。。

経営って難しいなと痛感するのですが、百貨店がとってきた戦略・判断の1つ1つは合理的なのです。一見正しいのです。ましてや、80年代の百貨店が行った先進的な施策(こちらの記事参照)も素晴らしいです。それでも百貨店は90年代以降低迷しています。それは、繰り返しになりますが、時代が移り変わろうとその重要性は変わらないはずの「士魂商才」の精神を忘れてしまった、その精神を忘れてしまったからこそ、新しい時代における"百貨店の役割"を適切に再定義することができなかった、これに尽きます。

「士魂商才×デジタルマーケティング」最強説

侍の利他的な精神を持ちつつ、利潤を確保する商才を持つ。簡単にいうとこれが「士魂商才」です。侍の精神だけでは資本主義の世の中何もできません。お金がないと何もできません。一方で、自分の利益だけ追求したって、世の中に貢献することは、まったく貢献できないとは言いませんが、限界があります。

その両方を高いレベルで両立することができれば、大きなことができるし、人々のより良い生活の実現に貢献できるんだと思っています。かつての百貨店がそうであったように。

そこに、AIの力やデジタルの力が加わったらどうなるんだろう…って思うわけです。例えば、日比翁助のような人物に、AIを使いこなすスキルがあればどうなるんだろうとか。百貨店を世界で初めて発明したブシコーが、ロボットを使うとしたら、どんな百貨店が作りだされたんだろう、とか。そんなことを思うわけです。でも、当たり前ですが彼らは現代に生きていないから、AIを利用することなどできません。

しかし、現代に生きる人類ならできます。特にEC担当者やデジタルマーケッターと呼ばれる我々であれば、それを高いレベルで実現することが可能なはずなんです。

19世紀にブシコーが思い描いた理想の商業空間を、また、それら欧米の百貨店の世界を日本に上手く輸入した日比翁助らが描いた理想の商業空間を、AIやITの力を利用して、より高いレベルで実現してみたい。そのアウトプットの場所は、リアルだろうがバーチャルだろうがどっちでもいいから、そういった空間を作り上げて人々を魅了して、そして人々の生活をより良い、あるいはより彩りのあるものにしたい。

これが、僕がずっと考えているテーマであり、使命でもあると思っています。そして、僕のように考える仲間をもっと増やしたい、いっぱい作りたいと考え、僕はこのnoteを執筆しました。

デジタルマーケティングというのは、数字がしっかりとデータに表れてくるため、どうしてもそればかりに意識をとられがちです。そして、コンバージョン率が劇的に上がったとか、直帰率が劇的に下がったとか、数字としてはっきりと生じる大きな向上を一度体験してしまうと、その快感をまた追い求めてしまいます。それは良いことであります。正しいことでもある。ただし、それだけを追い求めてしまうと、たとえそれが合理的でも、かつて百貨店が辿った道と似たような道を歩んでしまいます。

士魂商才のような精神、使命感のようなものをもったうえで、KPIを設定し数値を改善していく。そういうことが、本来は今の時代、そしてこれからの時代に求めれいるわけです。

今デジタルマーケティングを担当している方々、ECを担当している方々には、きっと素晴らしい才能があります。「文系AI人材になろう」という本が少し前に流行りましたが、文系AI人材に属する人は素晴らしい人財です。それはこれからの時代で今よりさらに輝いていくはずです。だからこそ、士魂商才のような精神をもって、その才能をより高い次元で、かつ永続的に輝かせてほしいなぁと思うわけです。

最後に

僕がこの百貨店の歴史を紹介するにあたって伝えたかったことは、以上です。ひとまず当分は百貨店の歴史に関するnoteへの執筆は終わりです。

最後までお読みいただきありがとうございました。また、この記事だけしか読まれてない方は、ぜひこちらから過去記事も読んでいただければ嬉しいです。現代のマーケティングにも役立つであろう、かつての百貨店の取組みなどを紹介しています。また、Twitter(マーケティング用アカウント)とかよかったらフォローしてくださいませ(本垢でもいいけど)。あと、関西のマーケティングやEC界隈のセミナーなんかに顔出すこともあると思うので、声とかかけてくれたりすると嬉しいです。いつかLT大会なんかで百貨店の歴史のこと発表してみたいなぁとも思ってるんで…とりあえず興味持っていただいた方は気軽にメッセージとかいただけると嬉しいです。感激します。

ちなみに、note自体は続けようと思います。全然別ジャンルになりますが、別のマガジンで書いている歌詞(名歌い出し)についての執筆は続けようと思いますので、そちらも興味ある方はぜひお読みくださいませ。

ということで、お読みいただきありがとうございました!!


参考文献
林 洋海「“三越”をつくったサムライ日比翁助」

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