ローウェル(Lowell) とアメリカの産業革命
ローウェルは、ボストン中心から車で北へ約40キロ。今は、古い街並みが残る静かな地方都市です。しかしながらこの街は、アメリカの人々の生活と労働が大きく変わったアメリカの産業革命の、大きな渦の中で生まれた街と言えるでしょう。資本家たちは、Merrimack River の滝のエネルギーを利用して、何千もの機械を稼働させます。そして、新天地アメリカに上陸した移民家族や、この東部に暮らす若い女性たちがこの土地にやってくるのです。彼らの手によって、何百万メートルにも及ぶ布が生産されます。そしてこんな人びとの労働力から、アメリカの最初の産業都市ローウェルが発展していくのでした。
19世紀初頭から半ばにかけて、アメリカにおける産業革命が激しくなっていきます。その中で、まだ歴史が浅かったこのアメリカの社会や経済構造は劇的な変化を遂げることになります。当時、依然として本来の農業国であったにもかかわらず、アメリカは都市製造業の中心国家として変貌していくのでした。起業家としての野心を持った商人や資本家は、新興市場の生産力を発展し管理していくためにたくさんの会社を設立します。その流れの中で、賃金労働者としての工場で仕事を得る労働者人口は増え続けていきました。 アメリカの産業革命の礎である綿織り物は、織物工場で働く労働者階級だけでなく、アメリカ南部の綿栽培に携わる奴隷労働者をも増やすことになっていくのです。
・・・っと、ここまでローウェルのビジターセンターでもらったパンフレットをただただ翻訳していたのですが、当たり前と言われたら当たり前なのですが、確かに、このローウェルの綿織り物工場に納品されてた綿は南部から来ていたのですね。南北戦争が始まったのが1861年、っということは、1820年ごろから織物工業が発展していったローウェルに南部からの綿花が集まっていたことも納得がいきます。
綿花は鉄道で運ばれてきたのでしょうか、鉄道網はどうなっていたのでしょう。
なんだか、ますます疑問が湧いてきました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の鉄道史 を読んでみても、綿花を鉄道で運んでいたという記載がさがせません。その時代の南部の鉄道網も貧弱だったようです。それでも、南部から奴隷が北部であるニューイングランド方向へ逃げないように奴隷の乗車券購入には農場主の許可が必要であったなどという記載があります、鉄道は繋がってはいたようですね。
ちなみに。。。
Pawtucket Falls ポータケット滝
ローウェルの運河を語るときに欠かせないのが、このポータケット滝です。
早速出かけてみました♪
ほんとはパノラマ写真で撮りたかったのですが、上手に撮れないのでこの2枚の写真は繋がっていると思ってみていただけた嬉しいです。
私は最初、人間が石を積んで作った小さなダムかと思いました。
でも実は1マイル(1.6キロ)の幅で、高低差が32フィート(およそ9.7メートル)という小さな本当の自然の滝だったのですね。ボストンの商人たちは、この潜在資源である水力をローウェルの町中に運河によって張り巡らせ、たくさんの工場を稼働させていくのでした。
これからも、少しづつローウェルについて綴っていきたいと思います。是非おつきあいください。
1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。