見出し画像

日乃屋カレーをアメリカ東海岸へ♪


ボストンで小学生時代を過ごした方なら
この日私を手伝ってくれた右側の友人に、
とても懐かしさを感じるのではないでしょうか?🤭

 2024年の幸せな思い出のひとつ。
この夏、私は杉本農園の椎茸プリンス様にお目にかかったり、面白い体験をしました。


ご縁はこんなところから

 夏休みの予定を色々考える頃、私はちょっと面白い仕事を引き受けたのです。
6月にボストンで開催される Jetro 主催のこのイベント

 そこに参加される 日乃屋カレーさんのブースをお手伝いすることになったのでした。

たくさんの美味しい皆様方とご一緒に我々も頑張りました😆

その日の様子はこちらに♪

 日乃屋カレーさんは、神田の出。
神田といえば、古本、蕎麦屋、そしてカレーの激戦区。
そんな神田のカレーグランプリで優勝、そして殿堂入りをはたされたのだとか。

 カレーは私も大好物です。
へえ。。どんなお味なんだろう。ワクワクしながら、我が家に届いた試食品を食べさせてもらいました。

これは絶対、アメリカ🇺🇸でウケる!

 届いたレトルトを温めて、袋を開けて。
フムフム、まあ普通のカレーだな。いい香り。
っと思った私が一口食べた時。あっ、これはアメリカ人が好きな味だ!と、確信しました。

 何よりもそれを感じたのが、最初の甘みです。
甘口のカレーなのかな?と思うぐらい、最初に感じる甘味。それがすぐにスパイシーな辛味に変わる。その速さが絶妙にアメリカ人好みだと思ったのです。
これはアメリカで受け入れられるだろうな。そう確信しました。

 日乃屋カレーのキャッチフレーズ
「始まり甘く、後より辛い 余韻のこりし カレールウ」まさにその通りでした。

日本の国民食としてのカレーライス

 1950年代の始まり(昭和20年代半ば)私の父は上京し、姉にあたる私の伯母と互いに大学生活を送りながら一緒に暮らしていました。伯母は学生でありながらも弟である父の御三どんを担当していたのだとか。
 何が食べたい?と聞くと、カレーライス。としか応えなかった弟。
伯母は毎日のようにカレーライスを作ることになり、カレーライスしか作れない娘なのかと周りに思われそうで恥ずかしかったと、そんな思い出話を聞いたことがありました。

 日本のカレーライスの歴史を調べてみると、そんな父の若い時代の食生活の様子と重なります。

 そして、もう一つ私が感じるカレーは、向田邦子さんの本「父の詫び状」に納められたエッセイ、「昔カレー」

 同世代の男性と人生の中で一番美味しい食べ物の話になり、その方が「お袋が作ったカレーかな」と応える。
そして向田邦子さんが、「あのうどん粉の膜が張っているようはカレーでしょ?」というと、そうそう、と意見が一致して、その方は、お母様を思い出すのか涙ぐんでいたように感じた。という、そんな優しさを感じる景色です。

 カレーライスと、ライスカレーは違うもの。そんなところにも、どれほど日本の中に「美味しい洋食」としてカレーが定着していたか想像できます。
ちなみに、若かった父が母を誘うデートの場所は新宿中村屋のカレーライスだったのだとか。自分がいつも食べるようなカレーライスとは違う、「本物」のカレー。それをどんな気持ちで気取りながら母にご馳走していたのだろうかと思うだけで、私は亡き父への愛おしさが湧いてくるのです。

 夕暮れの街角、家路を急ぐ人々、団地で遊ぶ子どもたち、そんな誰もが郷愁を感じる台所の香りがカレーのような気がしています。

個性を競うカレー文化

 そして、これほどまでに日本の生活の中に定着しているカレーライス。
だからこそ個性を出そうと、たくさんの人々が自分なりの「こだわりの作り方」を模索したのではないでしょうか?
はちみつを入れたら美味しい、一晩寝かせたら美味しい、。。。そんなメソッドを誰もが聞いたことがあると思います。
 実際1990年、まだまだ新米主婦だった私は何かのテレビ番組で
最後に入れる「ガラムマサラ」という香辛料が美味しいカレーの秘訣! などと知り、すぐに近所のスーパーで探し回りました。
すると、棚はあるのに違うお店を数件当たっても売り切れだったのです。
テレビの情報力の強さと、カレーに対する人々の思い入れを感じたものでした。

味を追求した昭和の母

 私がこの日乃屋カレーのことを知った時に一番心に響いたことは、この味を模索した風景でした。
 日乃屋カレーの味の礎は、今のお味を作った社長のおばあさまが開発されたレシピだとか。
私はすぐに、昭和の台所が目に浮かびました。

 手首に輪ゴムをつけた三角巾を被ったお母さん。そんな女性が立つ台所。
少しでも家族に喜んでもらえる味、ちょっと人とは違う工夫、そんなことを一生懸命面白がって追求していた姿が目に浮かぶのです。

日乃屋カレーを東海岸へ持ってくる。

 私の2024年最大の出会いは、日乃屋カレーだったかもしれません。
90年代からアメリカに暮らし、私は、日本食がこの国でブームを作っていく姿を目の当たりにしてきました。
 寿司、ラーメンと来たこの日本食ブーム。次の大きな波は、私は絶対「日本のカレーライス」だと思うのです。
私はこれから、そんな自分の「直感」を信じて邁進してみようかと思っています。

 ギブミーチョコレートでもない、洗練された技術立国の日本でもない。私が育った日本。
「Always 三丁目の夕日」のような、日本人の活気あふれた暮らしとその中の幸せ。
今のアメリカの人が持つような、ただ憧れるだけの日本ではない日本。
確かな幸せ。
井上陽水さんの「少年時代」のような景色。
そんな世界を私は東海岸へ持ってきたいのです。

 2025年の新しい年、日乃屋カレーを通じて、どんな出会いや冒険があるでしょうか。なんだかワクワクしてくる今日この頃の私です。
たくさんの方に、このアラカン主婦の「野望」を見守っていただけたら嬉しく思っています。
新しい年も、どうぞよろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!

StudioHyacinth
1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。