いじめについて…の続きの続き(終)

少々キツい言葉で前回を締めましたが、
実際、悪質さはその通りであっても、イジメを行う者の考えや動機はもっと幼稚で他愛もない事も多いかと思います。
悪意なく(なければいいというものでもない)思った事を言ったorしただけ。
大人も含めそんな始まりも少なくないと思います。
また感じる方も敏感過ぎてそこまで悪意をもって捉えなくてもという事も多々あるかもしれません。
そんな時はどちらが悪いかを決める事なく「嫌がっている人がいるから」と、取り敢えず距離をあけるしかありません。
あくまでイジメとは嫌がる相手に執拗に嫌がる行為を繰り返し行う事です。

偶発的に始まった行為がエスカレートしていった場合は除き、最初からターゲットに対して精神を痛め付けたいとして始まったものは、
行為者が不利にならないように予め準備がされていると思っておいた方がいいです。
「あいつにこんな事されて嫌だった」
「あいつって〇〇なところがあって嫌だな」
「影でこんな事してそう」
小さな事を大きく言ったり、はたまたでっち上げだったり…理由はそれほど重要ではなく、
ターゲットが悪い奴、嫌な奴という連帯感が必要です。
そして準備ができて自分が負けないという確信を得てから行動を起こすのです。
前回書いたように「勝確の勝負」、王手の状態を作ってから勝負しよう!と仕掛けてくるようなものなのです。
ターゲットはそれを何も知りません。
いきなり問題が起こった時にはもう勝負が決まっていて、なす術はないのです。
それはその勝負を真っ当に受けてしまったらの場合で、この勝負はヤバいと感じ取れたら、この勝負を受けずに流す、避けるという行動と判断が必要になります。

ターゲットにされる方は青天の霹靂なので、いきなり冷静な判断はできないでしょう。
深く傷付き、怒りや悲しみに支配されると心は混乱し、自分は悪くない、自分が悪いかもしれないという不毛な苦しみに陥ってしまうかもしれません。
相手の準備や悪意の意図に気が回る程、冷静に物事を見つめ矛盾と道理に目を向けるのはとても難しく、困難な事です。
なので「不等に傷付けられた」と感じた時はまず安全圏に避難する事しかできません。
何も悪い事をしていないのに逃げているみたいで悔しいと思うかもしれません。
しかしこれは心に、精神に重大な攻撃を受けているのですから、まず体制が整うまで防御を取るのは必然の行動です。
これが物語やドラマであればスカッとする解決等があるのかもしれませんが、現実は本当に生易しくありません。
そんな事をする奴らと関わって気持ちが晴れるような解決や方法を探す事は、残念ながら私は不毛だと思っています(もっと能力が高い方や賢い方なら方法があるのかもしれません)
持論ですが、そんな奴らと関わらない、そんな奴らの言葉や態度に関心を抱かない。
これがとても大事だと思います。
周りに事の成り行き、状況、本人の正当性を理解できる人がいれば、すぐには難しくても本人の心を守りつつ、距離を取り、関係を薄めていくことができるだろうし、それが良いと思います。

どんなに優しい世界を望んでも
どんなに正しく真面目に生きていても
それはただの理想と望みであり
他人にとっては関係なくて、他人は他人で
それぞれが望む価値観とやり方で生きているのです。
自分の気持ちや価値観はそれはそれとしてキープしつつ、人間というものをよく知り、そして常にある一定の警戒心をもって備えていなくてはいけないのです。

優しく、真面目で、思い遣りのある心は人として最高の徳性でありますが、それを持たない者にとってはただの弱みであり、利用できる獲物としての特性にしかならないのです。

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