漂う無知蒙昧

私怨や妄想が溢れ出る時って… あるよね☆

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最近の記事

いじめについて…の続きの続き(終)

少々キツい言葉で前回を締めましたが、 実際、悪質さはその通りであっても、イジメを行う者の考えや動機はもっと幼稚で他愛もない事も多いかと思います。 悪意なく(なければいいというものでもない)思った事を言ったorしただけ。 大人も含めそんな始まりも少なくないと思います。 また感じる方も敏感過ぎてそこまで悪意をもって捉えなくてもという事も多々あるかもしれません。 そんな時はどちらが悪いかを決める事なく「嫌がっている人がいるから」と、取り敢えず距離をあけるしかありません。 あくまでイ

    • いじめについて…の続き

      精神攻撃は先制に限る。 のである これは必修にすべき大事な事柄である。 (自分がするのではなく、されない為に) 社会を道徳や倫理によって平和で秩序のあるものにしたい。というのは生きる者全ての願いであり理想である。 けれども理想に縋ると足下を掬われる。 理想は理想。現実は現実。 どちらかだけではなく、分けて考え両方に備えなければいけない。 虐める側の人間の立場に立って考えてみれば、 ・自分の中に起こる不安や劣等感を他人を攻撃する事で紛らわす者 ・相手を悪と見なすことで自分の

      • いじめについて(何度目か)

        いじめについて書き込まれたSNSを見て思う事 未だに、今更、今でも……… 「虐められる方にも原因がある」 という言葉を恥ずかしげもなく発する者がいたりいる。 驚きはしないが、それも人の本質の一つなのだろう。 私は性善説・性悪説という言葉が長らく苦手であったが、最近ようやく分かってきた。 人は結局のところ自分の心しか心底では理解できない。 善性を持つ人はそれが人の基本だと思うだろうし 性悪と多く関われば人は元来性悪だと思うのもやむなしで(性悪本人は自分を性悪だと自覚しない)

        • 性格は悪くないとね

          とは冗談ですが、生まれながらに性格が良くて 周りも性格の良い人に恵まれた知り合いや友人は 時々驚くくらい人の性悪さや邪悪さを理解していない、そんな人ほとんどいない、くらいに思っている人もそこそこいた。 やはりどんなに色んなものを見聞きし、見識を 広げ、客観性を伸ばそうとしても 絶対的に主観が強い。 主観がブレブレでもよくはないが、主観が 性善説に寄っていると、それはとても一部の 人々から利用されやすいのである。 しかも善性を重んじるので、利用されていた ことに気付かなかった

          性格ってさ

          人の性格はままならない。 すごく我儘な人や意地悪な人、自分勝手な人の 性格が良くなることってあるのだろうか? 私の勝手な予想。 多分ない。 私自信大していい性格もしていないくせに 好き勝手に書き散らしていく。 人ってさ、自分の性格に徹底的に向き合うこと あんまりなくてさ、自分の好きな部分、見たい部分しか見ていない。 それが別に悪いことではないんだけどさ、 都合の悪い部分は薄っすら勘付いてても 見て見ぬふりする。 そもそも人に(誰に対しても)嫌な思いをさせたくないと考えて

          相手の手を知る(騙されたとしても)

          「相手の手を知ることが、免疫をもつことに つながるのだ。」 今読んでいるマインドコントロールについての本の中の文章。 為になることばかり書いてあるけれど (為になる状況は来てほしくないけれど) 特にこの文章について。 人を騙す人ってとても誠実でいい人を装いますよね。 人がどんな人を信用するかを知り尽くしているのだから当然です。 誠実な人々が積み上げた「信頼」を利用し食い尽くすのです。 許せない卑怯な行いですが、利益の為には何だってする、良い悪いよりもとにかく「得してやる!」

          相手の手を知る(騙されたとしても)

          見下し2

          見下しについての私見続編。 私は人によく見くびられたり、見下される。 元より頭も良くないし、社会的地位もひっくひくなのでまあ別にいいのだけど、 嫌われる・見下されるはセットであってセットではない。 私が性質的に見下されやすいのは自分でも納得できる考察もあるのだけど、今回は見下されることよりも見下してくる人間について。 見下されない人間には、この人間社会で見下してくる人がどれくらいいるか、きっと実感として全く伝わらないと思う。 私の経験から(上級社会のことは分からないが所謂マ

          見下しについて

          個人的に昨年色々あった。 昨年に限らず2021年から色々あった。 しかし今現在に至ってみれば、結局自分にできること、できたことはさしてなかった。 それは自分が大した事のない存在であり、また強い努力も望んでいない怠慢な性格な所為でもあるが、 自分という人間のダメな所や可能性を考えた結果できないと苛つく程の可能性もないのだからできる事をできる範囲でしている事にまあまあ満足しながら 何も誇らず清貧して暮らしている。だけである。 だけれどもこんな自分でも人にやや頼まれる事があった。

          見下しについて

          兵は詭道なり

          「「名著のことば」」という書籍よりもう一つ。 「相手を追いつめ過ぎてはいけないよ」と 迷いました。 追いつめ過ぎて〜は本当に大事ですね。 誹謗中傷やパワハラが大きく問題になっている 昨今で本当にみんながこれを心掛けてくれたら と願うばかりです。 「兵は詭道なり」は本当に有効な言葉だけど 解説に付いていた漫画もだけど、まあまあひどい。 正攻法で勝てない時は違う手も考えろという 解説が付いていて、漫画では相手の弱いところや 気になる言葉を側で囁くことで集中力を欠かせて いました

          兵は詭道なり

          利害に雑う。

          『智者の慮は必ず利害に雑う』 という言葉が孫氏の兵法にあるそうです。 私は無学ですが、そんな私でも中国史が 割と大好きです。 上の言葉は子ども向けの書籍に載っていました。 混んでいた地下鉄の中で座っている小学生の子が 真剣に(?)読んでいました。 著名人の言葉を集めたもので、この言葉の前の ページの言葉もすごく良かった。 どうしてもその書籍が知りたくて (表紙が黄色と黄緑で名著か著名人という 言葉が使われていた。) 次の週末に書店で探しました。 ネットでは内容がイマイチ分から

          信じるって素晴らしい!(???)

          この題名が渾身の嘘になるなんて 思いもしませんでした。 散々信じることをディスってしまって 良くないなとは思うのですが もう私の性根が腐り切って治らないのでしょう。 信じる…信じてることかあ… 信じてないものはたくさんあるけれど 信じてるものと言えば、時間は必ず経過するとか 信じてるというか、そうなるだろうというか 中々思いつかない。 これはきっと、自分の生育環境に由来するのかな 私は「信じなさい」と強要してくるものが とても嫌いなんだ。(これは今知った&気付いた) だって

          信じるって素晴らしい!(???)

          信用なんてないさ♪(…なんてこともないさ)

          (もう信用について考えたくない…) 100信じる『全幅の信頼』の危険性について。 これについての考えをまとめたくて 始めたことだったんだ… 全然上手くまとまらないです。 人を信じることの危険性を色々書いてきましたが 信じる(信じきる)ことの弊害としては 相手が危険な可能性があるだけでなく とても厄介で大きな問題のように思うのは すごく依存的で他責思考になってしまうことです。 一度相手を信じきってしまうと、物事の判断基準が 自分でなくなってしまうというのが 私が最も嫌いなこと

          信用なんてないさ♪(…なんてこともないさ)

          信用の使い分け

          長々と書いてきてしまっているけど 人を信用しちゃダメって訳ではないです。 しかし、信用というものがこれほど人の 心理とメンタルの行方を大きく握る以上、 とても慎重に扱われなくてはいけないと 思い至ってみたのかもしれない(よく分からないけど) ●時代と信用 原始時代とか、縄文・弥生時代とか 生きるのに精一杯で文化とかの余裕も無い時は 集落・集団が生き残るのが最優先なので 相手を騙したり嘘を付く者は 集団から排除される。(集団の存続に関わる) 2つ前の『信じることは気持ちいい』

          信用の使い分け

          信じる割合について

          信じるということについて…長くなってきた… 信じるということについては 宗教の話は避けて通れないのかも しれませんが避けていきます。 今回は信じる割合について、、 私にとって信じる割合の理想は50:50です。 これはパートナーとか一生一緒にいる 覚悟を持った場合で、今となっては もっと低くてもいいかなとさえ思います… 友人とか親戚は人にもよりますが :20前後くらいにしておいて 知人や他人は0でいいかなと。 信用できないからというのではなく、 信用できるかできないか分からなも

          信じる割合について

          信じることは気持ちいい

          多分きっと、何かの本なんかには 書いてあるんじゃないかと思うけど (読書量の無い者が何か書くのは知識不足の 露呈なだけなんだけど) 何かを信じている状態って気持ちいいのだと 思います。 少なくとも何も信じていない状態よりは 心が安定するのは容易に想像できる。 人は(生まれた時から親から餌を貰う形態の生き物は 全て) 生まれ付き保護者を信頼するようにできている それは生きる為の本能として当たり前の機能で それを受けてまた己も我が子にそれを繰り返して いく繰り返しの命のリレーなん

          信じることは気持ちいい

          信じるということ…(信じることは究極の自己責任)

          「信じる」ということが良い事なのか 良い事ではない(悪い事)のか… 凡その方が時と場合によると分かりつつも 信じることは悪いこととされてないように 思います。 大雑把に言って、 良い事を信じるのは良い事 悪い事を信じるのは良くない事 なので、 信じる前にそれが良い事なのか悪い事なのかを 判別できれば大きな問題は起きない… のでしょうか。 私が常々思うのは信じた、若しくは信じようと 思ったものが途中で変化した時や 実は違ったと分かった時にさっと考え方を 変えられるかどうか。 こ

          信じるということ…(信じることは究極の自己責任)