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父親としての呼ばれ方に悩む

家庭内での私の呼称は「パパ」である。

家庭外でも子どもの父親という意味でパパと呼ばれることも多い。今だからそこそこ慣れたように思うものの、パパという呼ばれ方にしっくりこない時がある。

一方、たまに子どもから「お父さん」と呼ばれることもある。気まぐれに呼んでみたくなるのだろう。それはそれで少しこそばゆいのである。

最終的にどうしたいのかという意思のない袋小路な感情ではあるのだが、改めて自分自身と向き合ってみる。

パパという呼称

私が子どもの頃育った時代的に、もしくは育った地域的に、パパという呼ばれ方をしている父親は多くなかった。知る限り身近にはいなかった。

私の中でもはっきりとした定義があるわけではないが

・子どもの距離が近い。子どもと遊ぶのが上手
・若くてエネルギーに満ち溢れている
・なんだか知らないがリッチな雰囲気

私がパパという言葉から連想するのは、上記のような父親像である。客観的に考えれば考えるほど、私自身は上記のパパ像に全く一致していない。

お父さんという呼称

じゃあ「お父さん」という呼称はどうなのか。

これも勝手なイメージでしかないが、絶対的な強さや威厳、ある意味完全性を持った相手としての呼び方な気がしている。

仕事に悩み、子育てに悩み、自身に悩む私自身の状況を考えると、上記のイメージもしっくり来ていないのが本音。

なぜ呼称ごときで悩むのか

改めてだけれども、子育てって難しい。あと、大人であることも難しい。常に新しい問題が発生するし、正解がなんなのかもわからない。想像していた以上に悩むし、失敗もする。

一方で「パパ」や「お父さん」という言葉が持つ、完結している父親像と私自身の乖離がどうにもしっくり来てない理由なのだろうと思う。「父ちゃん」でも「父さん」でも多分同じだ。

多分呼称に悩んでいるわけではない。父親という役割に、はっきりとした自信や指針が持てていないのだ。

ここまで書いて思った

人に胸をはって「父親やってます」ということができるのはいつなのだろうか。そもそもそういう時って来るのだろうか。

間違い無く言えるのは、子どもを育て上げた、世のお父さん、お母さんはすごいってことだ。


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