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[親愛なる韓国音楽へ]何で今の活動をするようになったのかの話。Vol.2

こんばんは。

先週に引き続き、「私が韓国音楽にハマり、活動の軸とするまで」についてのエッセイを書いていきます。

韓国での留学生活や大きく影響を与えてくれたHyukohについて、ライターの仕事を始めた頃のお話です。

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2016年

生まれて初めて行く海外、しかもそれが憧れの象徴だった韓国であるから尚更、留学にはとても大きな期待を持っていた。人とたくさん交流して語学力を上達させること、現地の文化を知ること――しかし、今思えばそれ以上に「憧れのアイドルを近い距離で拝める!」ということのほうが大きかったかもしれない。だって今まで来日公演でしか会うことの出来なかったアイドルはこの地に住んでいるのだから。

しかしそんな希望と欲望に満ち溢れた韓国留学と私の音楽観は、早一日目にして少し異なる雲行きを迎えることになる。それはその日の夜、トウミ(チューターを韓国語ではこう呼ぶ)と自己紹介も兼ねてお互いの話をしている最中に訪れた。会話の流れが自然と音楽へと向かい、私が興奮気味にK-POPアイドルについて熱弁するのをよそに、「僕たち、あんまりアイドルの音楽とか聴かないんだよね」とトウミたちは口にしたのである。韓国の音楽と言えばK-POPなのに?じゃあ何を聴いているのだろう?それを早速訊ねてみると、「こういうのなんだけど・・・」とスマートフォンのアプリを開いて聴かせてくれたそれらは、DEANやZION.T、BOL4など、日本ではまだ知られていないミュージシャンたちであった。不思議な感触のする音楽のように思えた。


さらにその数日後、お腹をすかせて一人でチキン屋に入った時のことだ。店内で流れている音楽は、やはり私が知っているK-POPアイドルたちのものではなく、日本では馴染みのない曲ばかりだった。正体の分からないその音楽を聴きながらチキンを食べる。もう何年も親しんできた「私の韓国」のイメージが崩れ、何も知らない異国にいるような気分だった。

感じることの多いそんな日々の中で、とある重要な出会いを私は果たすことになる。留学先の学校での授業中、とあるミュージシャンの音楽をたまたま聴くこととなった。私が聴き馴染んでいたK-POPのポップな音とは違うその曲は、だからといって日本のロックバンドが持つ疾走感だとか歪んだギターの音とも違っていて、もう少し普通の人っぽい、と思った。そして何より、そこで歌われていた歌詞に私はひたすら驚いていた。

いっそ見えないほうが俺には良いんだ

いっそ感じられないほうが良いんだ

いっそ生きられないほうが良いんだ

これほどまでに内省的な歌詞を持つ音楽があることを、私は全く知らなかった。K-POPアイドルたちのカラっとしたポジティブさとは反対側にあるようで、でもそこにある真っ直ぐな感じというか、嘘をついてない感じがとても強烈だった。その音楽と言葉が私の頭の中で鳴り響き続けて仕方がなかった。

それこそがHyukoh、という印象的な名前を持つバンドとの出会いだった。


2017年

留学期間を終えた私を、日本は何も変わらない様子で親しみ深く迎えてくれた。私もまたそれに対してとても安心していたが、しかし韓国から戻って来た私には、そこにある空気がこれまでとは違って感じられた。それは一体何故なんだろう?そんな疑問を抱えたまま、韓国で過ごしたあの夏からもうすぐ一年が経とうとしていた頃だった。偶然聞いたニュースに私の胸が踊った。あのHyukohが日本でもデビューアルバムを発売する、そしてその発売に合わせて渋谷でリリース記念ライブが開催されるという。私はそのライブへ行くことをすぐに決めた。

このHyukohのライブこそが決定打だった。何万人もの客席の中、音楽そっちのけで目の前にやってくるアイドルに黄色い歓声をあげること、それが私の経験してきたライブというものだった。しかしこの日は違った。私と同世代だけでなく50-60代のお客さんも見受けられ、老若男女問わず誰もが同じ空間で純粋に音楽を楽しみ、「今日のライブ良かったね」と何気ない会話をしながら帰る。「韓国だから」という物差しではなく良いミュージシャンとしてHyukohを応援する人々の姿、これらの光景が私にはとても新鮮で、単純に嬉しく思えた。

Hyukohとの出会い、そしてこのライブの経験が私に新しい価値観を授けてくれた。韓国にあるインディ音楽、という輝かしい財産についての大きな興味である。


2018年

Hyukohとの出会いをきっかけに韓国インディというカルチャーに目覚め、もともと持っていたヲタク性が爆発し、聴く音楽に広がりが出てきた頃だった。私はTwitter上でとあるツイートを見つけた。メディア会社が呟いていたスタッフ募集のツイートである。心惹かれるものがあって応募し、翌週から早速仕事が始まった。

週に一回5時間程、パソコンを広げてはひたすらネット上で掲載される記事を書いていた。そんな仕事の中で、韓国語やマイナーな韓国音楽ヲタク知識が次第に発揮されるようになり、韓国音楽担当としてみんなから一目置かれるようになった頃、私の「相方」に出会うこととなる。

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