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私は親父のいない人生を生きたことがない

今日はいかりや長介の誕生日だ。
生きていたら93歳だ。

いかりや長介の著書「だめだこりゃ」を
読んだことがある。

忘れられないページがあり、
何度読んでも心に衝撃を喰らう。

いかりや長介は4歳で実母を亡くしている。

そのためいかりや長介にとって父親が
絶対の存在だった。

「最高の親父」という項がある。
このページが忘れられないのだ。

いかりや長介が63歳の時、86歳の父親が亡くなった。

「私は親父のいない人生を生きたことがない」

僕にはとうとう頼るものがなくなってしまった。
生まれて初めて孤独を味わった。と

親父に教わったことは何もない。
単に私は親父が大好きだったのだ。
だから例えば親父を困らせたくなかった。
口答えしたこともない。
たった一度、バンドマンになったときを除いて、
親父の意見に逆らったこともない。

終戦直後
いかりや長介は幼児だった弟を亡くしている。

その時の親父の描写が何度読んでも
涙が出る。
この部分は書かない。

彼の生い立ちからドリフターズ結成後のことまで、
彼の視点で書かれていて興味深い1冊だ。
とても苦労してきただろう。
絶対的リーダーで厳しい印象だが、
とても真面目で繊細な人だったのだろうとも思う。

アフリカも大好きで何度も旅行に行っていたと。

仲本工事への評価は辛辣だが、
高木ブーのことは大好きだったようだ。

でも「工事が辞める時は俺が辞める時だ」と
仲本工事のお父さんを説得してドリフターズに
加入させてくれて本当にありがとうございました。

お酒が大好きで
カフェ酎(焼酎のコーヒー割り)が好きだったと
仲本工事が言っていた。

天国で大好きなカフェ酎を飲んでいるに違いない。
大好きなお父さんにも会えたかな。
荒井注や志村けん、仲本工事とも
天国で再会しただろうか。

江戸っ子の言葉遣いが大好きだった。
長さんの語り口が大好きだった。

亡くなって20年。

うちの子たちは
「最初はグー、またまたグー、いかりや長介頭はパー、正義は勝つ、じゃんけんぽん」
とまだやっておりますよ。

私もずっと支えられています。
これからもたくさん笑わせていただきます。

汽車の窓から 手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームのかげで 泣いていた
可愛いあの子が 忘らりょか 

ドリフのズンドコ節 ドリフターズ

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