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楢山節後

皆様の中には深沢七郎の民話に基づいた短編小説、映画にもなった『楢山節考』をご存じの方もいるかと思います。山奥の貧しい部落の慣習に従い、年老いた母を背負って山奥へ捨てに行くという姥捨山の話しです。この物語は老婆おりんが雪降る夜に山に捨てられるところで終わるのですが、この結末に満足しない人は少なからずいるようです。続編とも言える、とある映画では、捨てられた老婆たちが生き延びていて、みなの衆に復習をするといった想定さえあります。

当人はといえば、ある登山家から妙なことを聞いたのでお伝えしたいと思います。実は、おりんは捨てられた近くの岩盤に書置きをしていたというのです。まぁ、この登山家の言うことなので真偽のほどは不明ですが。第一、死期の迫った老婆が岩盤に文字を記すなどというのは普通ではありませんよ。いずれにしても、岩盤の記録によれば、おりんの最後は以下のようなものだったそうです。

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わしはもう、とうに死ぬ覚悟はできていたんじゃ。運よく雪も降り、ひとり安らかにいけると思うていたやさかい。寒うには寒うが、これは何も今に始まったことではないやで。冬はいつもさむかったもののだち。何も苦しいとは思わなんだ。ちらちらと昔のことが思い浮かんだぞな。皆の衆の顔も見えたしな。そして、だんだんと眠くなってきた。目はつむっていたはずじゃ。雪の積もる音がしんしんと聞こえただけだったべ。

どのくらいたったかわからねぇ。突然、なんか昔の唄のようなものが聞こえてきたんじゃ。あの独特の節回しと三味線の音、なんだか琉球の唄のようでし。わしらの先祖は遠い昔そっちの方から来たと聞いていたからに。こんなところで、どうしたのかと思ったけ。

すると、どこからともなく、ひとり、またひとりと神さま達がやってきたのじゃ。神さま達はいろいろな動物の姿をしていたわい。じゃが、みんな人のように二本足で歩き話をしてはった。それに、いつの間にか周りには屋台が立ち並び旨そうな飯が並んでおった。神さま達は好き勝手に飯を食らってたやで。わしもなんだか腹が減ってきた。それで、辰平(筆者注:おりんの息子)の包んでくれた握り飯を食らったんじゃ。うまかったのなんのと。村のみんなと一緒に飯を食らっているようなった。

あれまっ、驚いたことに、いつの間にか目の前に温泉が湧いておる。湯舟もある。飯の終った神さま達は次々に湯船につかり始めたのじゃ。年をとってもわしはおなごじゃけん、一緒に湯船につかる訳はなか。それでも、湯気を浴びてなんだか暖かくなってきたべか。

すると、神さま達の一人が、わしの方を向いて言ったじゃ。
「やー、おりん。お前さんもようがんばったくなぁ。これからは、わしらの仲間に入ってゆっくり暮らすがよかじょ。今度は磯着でも着けて温泉も入られ。で、お前さんの体はこの世には残せんじゃな。その代わりと言っては何だじまん、この石に書置きでもしておけば。わしらが手伝ってやるにか」

わしは、おったまげてしまったじゃ。ありがてぇことだのぉ。皆の衆、元気で過ごせよ~〜〜。

おりん

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