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教育について(2/3): アメリカの小中高校教育

まず、当人のアメリカ在住の知人の話に基づいて、極簡単に背景を書きます。アメリカの公立小中高校は概ね市町村ごとに制定されている学区ごとに教育委員会が運営しているそうです。小中高の区切れは学区によって違うようですが、知人の学区では幼稚園にあたる一年間から始まり、その後は、5−3−4年制だったそうです。

そして、知人の印象は、子供が小中高校を通して自主性を重んじるような教育は受けなかったというものでした。子供はああしろ・こうしろと、ありとあらゆる指導あるいいは命令を下され、それに従うことが良い評価・成績への道だったと言うのです。これは、日本で生まれ育った知人の感想なので、彼自身の経験とはかなり時間と場所が隔たっており、どれだけ正確かは分かりませんが。

当人のアメリカの小学校のイメージは、遊びのような楽しそうなクラスといったものでした。知人に言わせると、確かに遊びのようらしいのですが、同時に子供たちは先生が出す指のサインに従順に従い見返りに何かしらつまらない褒美を与えられたとも言っていました。水族館のアシカのようですよね。それに加え、生徒の多くはバス通学で、バスの中と乗り降りには厳しい規則があり(当然、安全のため......)、放課後は親に車で連れて行かれるスポーツやダンス等の習い事の他は、自由に友達とも遊べないような感じだそうです。これは、知人の住んでいた郊外の話で、市内では子供たちがもっと自由に歩いて友達の家に行くことは出来るのでしょうが。

脱線: アメリカの小学校の話が出た時に、この知人から子供向けの面白い本があると聞きました。Dan Gutmanの『My Weird School』というシリーズだそうです(日本語の解説)。子供が学校のプックフェアで買ってきてから、全21冊を家族全員で大笑いしながら読んだそうです。主に小学校の先生たちの異様な言動が笑い話のタネになっているらしいのですが、実はアメリカの教育のまずい側面が浮き彫りにされているから可笑しいのでは、と思いました。

さて、中学高校になると、授業は遊びのようなものから急に無味乾燥なものに変わり、授業中にトイレに行くにもパス(許可)を得る必要があったと言うことです。さらに、トイレの前にはその時間に授業の無い先生が待機しており、一人ずつしか入れないとかとも聞きました。これは、トイレで集団タバコや薬物を使うのを防止するためらしいのですが。

高校になっても授業の内容自体はとても高レベルというようなものではなく、例えば、知人の子供は日系人というだけで数学の天才と思われていたようです。宿題はそれなりにあったようですが、兎に角やれば良いというような代物で、それでも、多くの学生はやらないので、きちんと言われたことをやっていれば良い成績がとれるといった按配だったそうです。

そして、運動・文化部に限らず、部活は顧問なりコーチが取り仕切っていたようで、学生は言われた通り言いなりにならざるを得ないということでした。知人の記憶では、日本では中学の顧問は少しは指導していたが、高校の時には顧問は居るだけで活動に関わっていた覚えは無いということでした。これは、当人の記憶ともそんなに違っている訳ではありません。因みに、当人は大学のクラブに顧問がいたかどうかさえ覚えていません。知人の子供の場合は大学でも顧問が取り仕切っていたということです。

という訳で、アメリカの小中高校の教育の根幹にあるものは、言われた事をこなすという姿勢のようです。飼い慣らし教育とでも言いましょうか。知人の言う通り、とても自主性とか想像力を培うような場所ではないようです。

そんな中で、日本よりも格段に強調されている事があるそうです。それは、積極的に発言・討論する力だそうです。知人の子供は、両親が日本育ちの日本人のせいか、学校であまり発言をしたがらず、その点では数学の天才も相当に低い評価を受けていたということです。

ところで、人に従う姿勢を強いられながら、発言や討論が強調されるというのは、反対のようにも思えます。知人の解釈は、要求されている発言や討論に本当の意味は無い。無意味なことでも兎に角、口を開いて何か言えばいいのだそうです。内容は重要ではないと言うのです。考えるよりも先に、口を開く事が重要なようです。ひねくれて考えれば、人から強いられた事をラッパのように大声で繰り返すことが出来れば良いということでしょうか。

考えてみれば、アメリカの公立教育は、世界各地から来た移民の子弟が工場で働くのに適切な人材を育てることから始まっているのだと思います。それには、言われた事を理解出来て、オウム返しは出来るが、文句を言わないような教育、それがピッタリなのかも知れません。同時に、押し付けられた商品をそのまま購入したくなるような消費者を育てる教育でもあるかと思います。または、とんでもない大統領候補に投票するような人間を育む教育とも言えましょうか。

そんな中で、アメリカ人は幼い頃から子供たちが、どんな仕事をしたいのかオウム返し的に言えるように訓練されています。ディズニーのヒーローやプリンセス映画で育った子供たちの多くは、現実版のヒーローやプリンセスを夢見ます。大統領、政治家、法律家、経営者、医師等は人気の的です。そのためには、当然の事ながら、いい大学に行かないといけないと思うわけです。アメリカの小中高校は、子供たちの将来の目標を設定する手助けをし、そのための大学教育のセールスに一役買っている訳です。

さて、有名大学に入るには良い高校で良い成績を取る必要があります。アメリカの公立高校の良し悪しを語る最も根底にあるものは、学区の経済格差のようです。これにはアメリカの納税状況が絡んでいるのだそうです。居住者は、連邦政府と州政府には所得税を、市町村には、所有する不動産の査定額に応じて地方税を支払うそうです。

地方税には、リサイクルや図書館を運営する郡の税金、不動産税、そして学校税が含まれています。つまり、公立学校の財政の中心的部分はその学区にどれだけ高級な住宅があるかによるのです。そのため、高級住宅地のある学区からは、より多くの学生が有名大学に入ることになるそうです。言うなれば、住宅格差と教育格差は相互依存関係にあると言えましょう。

そして、この住宅格差というのは、誰の目にも一目瞭然です。住宅格差を見せつけられ、教育格差を示唆されれば、これも良い大学へ行くための理由になることでしょう。アメリカ社会では『良い』大学教育を売るための道具が揃っているようです。

尚、この構図はそれ以上にも複雑な要素が絡んでいるようです。まず、アパート等賃貸住宅に住んでいる人は、少なくとも直接は学校税は支払わないそうです。また、私立校は学区の学校税を払っているか否やに関わらず別途授業料を払う必要があるとの事です。つまり、自分の子供が私立校に通う場合、直接関係のない公立校の学費も払うようなものです。また、子供の居ない家庭や、子供がもう学校を終えてしまった家庭も、不動産を所有する限り学校税を払う訳です。どう考えても、生活に困っている家庭には過剰負担のことでしょう。

少し横路にそれますが、アメリカの個人倒産には、主因が幾つかあるそうです。医療費の他に、住宅ローンや学生ローンの返済がよく言われるものです。つまり、この住宅格差と学区格差は、歪んだ教育状況を背景に多くの人々を窮地に追いやっているとも言えます。

こういう話を聞くと、当人としては全く釈然としません。教育の本来の目的はそっちのけで、一般人は教育ビジネスの消費者として、怪しげな商品を買わされているのではないでしょうか? では、教育本来の姿とはどうあるべきでしょうか? 次回、またもや当人の全く勝手な意見を言わせてもらいます。


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