淘汰という言葉で簡単に片づけてはいけない

淘汰

すぐれたものが生き残ること。

適応できなかったものが
生き残らなくなること。

「すぐれた」という言葉は
選れた」とも書けるが、
これは果たしてどういうことなのだろう?

プレイステーションの時代に
多くあった独創的なソフト群から
それらが少なくなり、
ブランドと化した
シリーズ作品が占める
ソフト群の変化から考えてみる。

1.

PS1以外で作る必要性がない。

例えば「バーガーバーガー」という
ゲームソフトは新しいメニューとして
新しいハンバーガーを考えるのだが、
新しいハンバーガーが
受け入れられるかどうかは
お客さんの評価軸を設定してしまえば、
能率的かつ効率的にできてしまう。
例えば肉体労働者が多い地域では
カロリーの多いハンバーガーを考えたり。

2.

時事ネタではない。

反対に時事ネタでなくなって、
時間が経過して失効したので
使用許可がおりたりするネタもある。

3.

PS1のスペックだからこそ成り立つ。

PS1のソフトに
「クーロンズゲート」という
ソフトがあるが、
「あの解像度だから雰囲気が出る」
という評価がプレイヤーから出ている。
「バイオハザード」もPS2以降と比べて
武器弾薬の制限が大きいので、
知略を使ったプレイが求められている。

他には「ファイナルファンタジーVIII」や
「エースコンバット3」、
「テイルズオブエターニア」のように
複数枚に分かれていて
PS2以降では枚数の予想が
つかないことがそうだ。
だがエターニアはPSPで
UMD1枚で収まっていたが。

4.

PS2以降のマシンスペックでは
完全に使いきれない。

特にコミカルなキャラクターや
アニメチックなグラフィックの
ゲームでリアルにすると
いわゆる不気味の谷になり、
生々しくなったり。
「パラッパラッパー」や
「ウンジャマ・ラミー」は
PS1で充分だったりするし、
PS1からPS2の1994->2000で
中学校に入学するような年齢や
大学に入学したり、
就職したりする年齢の
成長したプレイヤーに向けて
高難易度な楽曲をプレイさせても
挑戦してもらえるかは疑問がつく。
パラッパラッパー自体は
PS2以降でもソフトは出ていたが。

5.

時勢の変化でPS2以降で
作ることが不可になった。

PS2以降でグラフィックが進化して、
より細微な表現が可能になって、
肌色の多い衣装がリアルに近づき、
年齢区分が出来て
審査を通過できなくなったり、
PS2以降、特に2001年にアメリカで
同時多発テロが発生して
それらを想起させる表現が不可になったり、
国家の政情不安などで
法律が改正されるようになり、
ロケーションや取材に
許可が降りなくなったなど。

反対にPS2の「どろろ」のように
年齢区分がつくようになったからこそ、
作られるようになったソフトもある。

PS2からPS3にかけてコントローラの
アナログジョイスティックの上下で
シフトアップ/ダウンが可能になったのは、
アーケードゲームで
レーシングゲームが少なくなったり、
特許が失効して自由に使用できる
ようになったのも大きいと考えられる。

2020年以降の世界では
いわゆるポリコレなどで、
政治的指導者の都合で
許可される表現が変わったり
することなどがそうだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?