横軸の縦の変化
1990年代から2000年代は百貨店の中の書店でゲームの雑誌や攻略本が置いてあり、立ち読みが出来て他の書籍も写真の割合が多く、今で言う「写真集」や「アートブック」も読むことが出来ました。日曜日の午後には一桁の子供とその親の親子連れが多くいました。
2000年前後で日本や日本から近い国で国際スポーツイベントが開催されて、アメリカやヨーロッパを標的にしたテロが発生するようになってから、「戦争」に関連したもの
(飛行機や戦車、戦艦など)が段々街から減っていき、
2009年前後にiPhone、スマートフォンが発売されるようになってから
「グローバルでない」もの
(5ナンバーサイズの日本車、400cc以下のオートバイ、50ccの原付、国内仕様のコンピュータゲームや国内と国外で仕様を変えているコンピュータゲーム、いわゆるご当地もの)
が姿を消していき、2011年に東日本で地震が起きてから「サバイバル」につながらないものが減っていき、
2013年に2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定してから
「スポーツ」や「勉強」の妨げになるものや誘惑になるもの
(炭酸飲料、油ものの食べ物、カロリーの高い食べ物、いわゆるポルノグラフィティとして視覚的に止まっている時間が長くなるもの=グラビアや写真集、ピンナップやエナジードリンク、ドーナツなどの甘い食べ物、コンピュータゲームのように画面と時間を使うもの、トレーニングの邪魔になるからとして腕時計や時計という意味で円の形をした手動じゃなくても動かせるものなど)
が姿を消していき、
2015年にアメリカでフォルクスワーゲンの車の排ガス不正の事件が起きて、同年に国連でSDGs17の目標が制定されて、2016年にアメリカが環境保護協定であるパリ協定を脱退して、同年にイギリスが国民投票で欧州連合から脱退することを決めてから
周りを顧みないもの
(排ガスが多いハイパワーな自動車、火力の高い厨房機器や暖房、電力消費の大きい冷房や掃除機、冷蔵庫など)
が姿を消していきました。
2024年の現在は電子計算機や半導体、機械をオンラインにつなげたりすることやデジタルトランスフォーメーションや情報通信の話題が多く人工知能も話題なのでより「生産効率の高い」ものが人気になり、
原価がかかっていて、人件費もかかるようなもの
(手芸、民芸、工芸、美術や絵画、機械式の腕時計や彫刻、陶芸、盆栽や経年によって値段が上がる住宅やウイスキー、ブランデーやワインなど)
は失くしていこうとしています。それがこのまま2030年代も2040年代も2050年代も2050年代以降も変わっていなければ、
芸人の江頭2:50さんのような人を「予測が出来ず、規則的でなく、動物的である」として排除していき、アニメのちびまる子ちゃんみたいにアドリブを禁止にしていき、アドリブが禁止されるのでアドリブで進めていく形式の音楽(ジャズなど)が排除されていき、工場の機械の音のように規則的なリズムだけで歌を入れないで演奏していく音楽が主流になり、社会も8-20で仕事するだけで毎日繰り返すようになっていき、スポーツの審判も人間だとバイアスが出てきますので、人間がやらなくなり、政治もそうなっていくと思います。
これが昔ならダリやピカソ、ムンクやゴッホのように「抜け出し」を題材にした作品が作られたりしていましたし、漫画も髪の毛が長い女性を描く時に髪の毛が長い理由(仕事が忙しくて髪の毛を切りにいけない、戒律で髪を切ってはいけない)を考えたりしていましたが、今は「髪の毛を長くしてはいけない人達への配慮」
(食べ物屋さんがスポンサー、汁物を出す店がスポンサー、長いと機械に挟まって怪我をする会社がスポンサーであるなど)
として結んだりしています。
2000年代に「空気が読めない」という言葉が話題になりましたが、それがかなり強くなっていますし、実際自分達がお葬式で悲しんでいる時に喜ぶ人達がいたら不愉快でしょう。火力についても諸刃の剣が良いというわけではありませんが、なまくらの状態で時短労働も進められていますので、生焼けの料理が出てきて食中毒になったりする事件もあります。
これまでの流れを切るような展開になりますが、
「お約束、テンプレート、クリシェ」に対して
「ハマる、沼にハマる、クセになる、夢中になる」として
「踏み込み」が浅いか浅くないかで議論になっているのかもしれません。
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とにかくブレーキを踏まないといけない場所でブレーキを引っ掛ける程度で踏んで曲がり切れずにアンダーを出してしまったり、エンジンブレーキで供給を客の需要に合わせて減らしていけずに急に寸断させたり、流れから出たい車両をブレーキを強く踏んで強制的に出られないようにしたりして、隊列を乱させないようにしたり、ということがあるからだと思います。要約しますと「抜け駆け」が許されないし、「出遅れ」も許されないのでしょう。
2011年に地震が起きて、福島の原子力発電所が事故になってその廃炉などのための弁済や賠償のお金を払い続ける限りはこの流れは続いていくと思いますし、その協力のために電車だけでなくバスも電動化して充電などで電気料金を払い、電動自転車や発電機は電力会社の売上にならないのでネガティブキャンペーンをしていくと思います。
そうとは言いましても電気エネルギーは伝達物質であり、ガソリンなどと違って「肉体」を持たないエネルギーなので保存や携行でまた議論になっていくでしょう。
また、電気エネルギーであっても熱エネルギーから作られる限りは電気の供給が止まったら、行灯や灯籠に油を引いて火をつけて明かりにしていきますし、料理もオリーブオイルやバジルオイルなど油からの熱で作られていきます。
福島は東北の県なので「東北から関東に電気を通すな、関東なら関東から電気を通せ」と東京に向かって茨城、千葉、神奈川から東京に向かって電気を通させる意見も出てくるかもしれません。
それで茨城、千葉、神奈川の漁業組合から拒否されて東京には「山」がたくさんあるからと山の反射や輻射の熱を使って、東京の電気を発電するかもしれません。それこそ、「浦和レッズとかわからないから」と(南栃木&北埼玉)と(南埼玉&北東京)で分裂していく可能性は否定できないと思います。
話が最初の方に戻ってしまいますが、「インターネットが無くても昔は楽しかった。昭和は楽しかった」と言っても、その時代は新聞屋さんや郵便局が新聞の折り込みチラシで配達する地域から10km圏内の場所で行われる特売やイベントの告知をしていたわけですし、新聞も広告欄に日付ごとに新しく発売される本の告知をしていましたし、フライヤーも街中にたくさん貼られていましたし、人が集まる場所ならスーパーから商店から学校、会社、教育や労働の施設にフライヤーが貼られていました。
それにそういう時代は「情報の非対称性」を利用して学校の先生や企業の管理職がかなり強権的に振る舞うことが出来ていました。
話の流れをまた変えてしまいますが、昔よりフェアネスという部分において公平や平等という意識は浸透していると思います。昔なら面白い本があったら「みんなで読みに行こう」としていましたが、今は面白い本があっても「つまらない」と言われたら面白いと言った人もつまらないと考えるようになります。テレビのニュースも夕方に「明日どこに行こう?」という内容を放送しても「家族を差し置いて自分だけ楽しむなんてあんまりだ」と言われるようになりました。
他にも昔と比べて朝から仕事をすることに対する見解も変わりました。不満であるわけではありませんが、今は冬で夜が来るのが早いからと冬に朝から仕事をしていてそれが建設などの工事だと「安眠妨害」「近所迷惑」「通学路を塞いでいる」と言われるようになりました。