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【東京批評】古田更一のスペキュラティブ入門 #88 【古市憲寿】


 〜重要箇所抜粋〜

1,石丸市長vs古市憲寿

日本の無理ゲーを表すショッキングな事件は石丸市長を中心にした東京都知事選挙だろう(ノンポリな私の周りの若者ですら石丸の手伝いをした人がいた…)。

 若者や新興宗教2世、弱者男性たちのボルテージは上がりに上がり、東京都知事選挙では小池百合子に次いで第二位に石丸市長という革命児が勝ちに勝った(その裏ではN国やネオ幕府など殆ど新興宗教に近しいファシズムが跋扈した現実がある)。

より劇的にバズりすぎた終わりなき平成を象徴するあの『古市憲寿vs石丸市長』論争である。

この事件はどれだけ日本の右翼が体制側が正しいか(そしてどれだけ既得権益で若者を統計的に見〇しにするか)を決定づける王『古市憲寿』の強さを決定づけるディベートやトークスキル、詭弁士同士のぶつかり合いになっている。

この対談前後で古市憲寿と同じSFCの山崎玲奈が石丸市長に「戦後」というゆとり世代特有のおとぼけ(しらを切る)、平和ボケ構文でシラを切ったところ、流石に同じ平和ボケ構文の使い手である石丸市長には通じず(ネオ幕府www革命家!)、怒った石丸市長によって山崎玲奈は泣き出すという(日本語が読めない岩佐なぎ!本物の統合失調症で弱者女性?だよ!陽キャ哲学な戯言だよ!)、

女の逆ギレによって石丸市長が女を泣かせるんだというイメージダウン戦略を無意識下か意識か行ったのだ。

 古市憲寿は頭の悪いフリをしているTVコメンテーターではなく本物の「作家」として石丸市長を鋭く批評したのだ(SFC。本物の侍は古市憲寿、彼である。ネオ幕府ではなく…)。 石丸市長さんって政治屋ですよね?(意訳)

本質を突きすぎ(批評家)
不謹慎すぎる(不謹慎芸人)
・それでいて自分は人気者(リーダー)

 この3つの組み合わせによる手法により、流石の石丸市長すらも壊れてしまい、は?のようなおとぼけしかできなかった。そして彼は後にネットで古市憲寿は悪だ悪だとネトサヨとして呪詛を撒いたという…

 古市憲寿が行った作家としての本質を突いて正しすぎる石丸市長批評そのものはむしろ誰よりも石丸市長の病病理を鋭く批評した点でむしろ石丸市長を愛しながら支配したことになる。

 日経テレ東大学における都知事選挙振り返り放送でのとある男が石丸市長や立花孝志という道化たち、そして高橋弘樹の前で言ったセリフ(意訳)。

???「石丸市長もクソだがこの日経テレ東大学もそして自分ももっとクソ」

悔しそうな顔でニヤニヤと切腹した。

成田悠輔である。

もっとも2人が以前会ったときからの写真が西洋美術史的な寓話的構造だったことからも分かったことだけど(詳しくは古市典寿氏の成田悠輔と乙武さん、アスリートとの4人写真における不自然すぎるインスタグラムの投稿を見て欲しい…)。

この距離を置いて嗤う2人と仲が良い2人を見ていると私はチェンソーマンにおけるマキマとリゼを思い出してしまう。

古市憲寿にとって成田悠輔は田舎の鼠なのだ。

マキマ「私、田舎の鼠が好き」

リゼ「デンジくん、本当はね、私も学校へ行ったことなかったの」

 


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