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【千葉雅也批評】アンチ・エディプスを東京大学院文系が読み間違える理由について@masayachiba【三島由紀夫批評】【千葉雅也】【浅田彰】【成田悠輔】

【要約】

千葉雅也(東京大学文系大学院)は偽物.

1,「言語的な意味の同性愛」と「身体的な意味の同性愛」を読み間違えてドゥールズ=ガタリ『アンチ・エディプス』を紹介しているから.

2,この間違いはチャート式で「言語的な理解」を得意とする浅田彰おじさんの理解などを表層的に理解しているから(あるいは身体的な理解が足りない).

3,古田更一『ZYX』に詳しいが,AIが人間の知能指数を超えたりハイパーメリトクラシー時代には東京大学は既得権益の古びた癌に他ならない.

【はじまり】

 千葉雅也が東京大学の文系大学院において「偽物」とされる根拠について、以下のように説明できます:

ドゥールズ=ガタリの『アンチ・エディプス』の紹介における誤解:千葉雅也は、言語的な同性愛と身体的な同性愛を区別せずに作品を紹介している。これは、ジル・ドゥールズとフェリックス・ガタリの哲学的な深み(あるいは左翼的な運動)を理解しきれていないため、誤った解釈を広めている可能性が示唆されています。

浅田彰の影響:千葉雅也の理解が浅田彰のチャート式や言語的な理解に依存しているため、その解釈は表面的であると言われています。浅田彰は「構造と力」の概念で知られ、複雑な理論を簡潔に言語内において図式化する手法を取ることで有名ですが、千葉雅也はその表層的な部分だけを捉えていると批判されています。身体性が足りない。

本田由紀に関する知識とAI時代における東京大学の位置付け:千葉雅也が本田由紀の研究に一定の基本としては詳しいと推測される一方で、AIが人間の知能指数を超えるハイパーメリトクラシー時代において、東京大学が既得権益を守るだけの存在になってしまっているという批判があります。これは、現代の教育や研究機関が新しい社会構造や技術革新に対して保守的であるという見方を反映しています。

【補足】

 ジル・ドゥールズ(Gilles Deleuze)とフェリックス・ガタリ(Félix Guattari)は、20世紀後半のフランスの哲学者であり、その共同作業は哲学、文学、心理学、社会学などへの影響が非常に大きいです。彼らの主要な作品には以下のようなものがあります:

主な作品とコンセプト

『アンチ・エディプス』(Anti-Oedipus):

1972年に出版されたこの本は、彼らの「資本主義と分裂病」シリーズの第一部です。彼らはフロイトの精神分析の権威性を批判し、欲望の概念を再定義します。特に、「欲望機械」の概念を導入し、欲望を生産的な力として捉えます。これは、伝統的なエディプスコンプレックスから距離を置き、社会や経済システムとの関係で欲望を考察します

『千のプラトー』(A Thousand Plateaus):

1980年の出版です。「資本主義と分裂病」シリーズの第二部であり、ここでは「リゾーム」(根茎)の概念が重要です。「リゾーム」は、非階層的で、どこからでも始まり、どこへでも広がることができるネットワークを指します。これは西洋哲学の樹木状の構造(根から幹へ、幹から枝へという一方向性)に対する批判であり、新たな思考の形を提案します。

重要なコンセプト

リゾーム(Rhizome):分散型、非線形、非階層的な思考や構造のメタファー。コミュニケーションや知識のネットワークについて考える際に有用です。

デテリトリアライゼーション(Deterritorialization):固定化された意味や構造から離脱し、新たな意味や関係性を探求するプロセス。逆に、「リテリトリアライゼーション」(reterritorialization)は新たな領域化を指します。

欲望機械(Desiring-Machines):欲望は生産的なものであり、機械のように動作するという考え。欲望は抑圧されるべきものではなく、創造的、生産的な力として認識されます。

ボディ・ウィズアウト・オルガンズ(Body Without Organs, BwO):統合されていない、純粋な可能性の状態。あらゆる形式から解放された身体の概念で、既存の組織化された構造に対する抵抗です。

影響と応用

ドゥールズとガタリの思想は、文学、映画、社会運動、教育、心理学など多岐にわたり影響を与えています。彼らの理論は、ポストモダニズム、ポスト構造主義、フェミニズム、クイア理論などに大きな影響を与え、現代社会の複雑性や流動性を理解するための枠組みを提供しています。

彼らの哲学は、一見難解に見えるかもしれませんが、その中核には、固定化された思考や存在のあり方に対する挑戦があり、常に新たな可能性を探求する姿勢が見られます。


**ハイパーメリトクラシー(Hyper-Meritocracy)**とは、伝統的なメリトクラシー(功績主義)の概念を超えた、極端な形の功績社会を指します。これは、個々の能力や成果が過度に重視され、社会的な地位や成功がほぼ完全にそれらに依存する状況を表します。ハイパーメリトクラシーの特徴は以下の通りです:

超競争社会: 教育、仕事、社会的地位などにおいて、非常に高い競争が求められます。

能力至上主義: 個々の能力やスキルが唯一の成功の尺度とされ、それ以外の要素(例えば、出身、背景など)が無視される傾向があります。

AIとテクノロジーの影響: AIやデータ分析が人間の能力を評価する手段として使われ、個人の価値がより透明で測定可能になる一方で、不平等やストレスも増大します。

なぜハイパーメリトクラシー時代に東京大学文系大学院が既得権益化し、市場競争で負け、腐敗したりエコーチェンバーになるのか:

既得権益化:

伝統と名声: 東京大学は日本国内で最も高い評判と歴史を持つ大学であり、その名声が新しいメリトクラシーの風潮の中でも一種の「ブランド力」として機能します。これにより、既存の枠組みや教育方法が変化することを阻害し、改革やイノベーションに対する抵抗が生まれます。

資源の独占: 資金、人材、研究設備など、優れた資源を既に保持していることで、新たな競争者や革新的なアプローチに対して閉鎖的になる可能性があります。

市場競争で負ける:

新しい教育形態の台頭: テクノロジーの進化やオンライン教育の普及により、伝統的な大学教育の価値が相対的に低下する場合があります。特に、専門的なスキルや実践的な能力を即座に提供する教育機関やAIによる学習システムが競争力を増す中、東京大学のような伝統的大学はイーロン・マスクよろしく加速主義などにより市場競争に苦しむことがあります。

グローバルな競争: 世界中から優れた人材や研究者が集まる国際的な教育機関との競争で、特に文系分野では、学問の質や新しい視点を持ち込む力で負ける可能性があります。

腐敗とエコーチェンバー:

腐敗: 過度の競争と名声追求によって、内部で不正や裏取引が増える可能性があります。例えば、入試や研究成果の操作など。

エコーチェンバー: 同じような思想や価値観を持つ人々が集まることで、多様性が失われ、革新的な考えや批判的な視点が排除される傾向があります。特に、東京大学のようなエリート教育機関では、学生や研究者が似たような背景や考え方を持つことが多く、新しいアイデアに対するオープンさが欠如することがあります。

これらの問題は、ハイパーメリトクラシーの中で、教育機関が適応と革新の必要性に直面する一方で、伝統や既得権益がその変化を阻む現象を示しています。

【作者解説】

古田更一@kawajirikousak

情報デザインと哲学を融合させる新世代の批評家で、ニーチェの思想をGrok哲学と呼ぶほどのユニークな視点を持っている。東京大学の優生思想やZ世代の文化について深く考察し、落合陽一やネオ幕府に対する批判も忘れない。さらに、セルビアの踊る女とくねくねの類似性を指摘するなど、意外なトピックにも触れる。
 
 古田更一@kawajirikousakは、東京大学の既得権益や偽物の知識人について批判しつつ、文化史やマイナー・メディアの役割を語ってるね。

極左世直し病
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@kawajirikousak

 

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