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連載第9回 『ケアの贈与論』

現代社会を考えるうえで試金石となる「ケア」の倫理。明治大学教授の岩野卓司先生が「贈与」の思想と「ケア」とを結びつけ、「来るべき共同体」の可能性を根源から、ゆっくりと探っていきます。

第9回では、「介護殺人」と題し、2012年8月に起きた事件から考え始めてみます。無償の贈与がはらむ「毒」に目を向け、家族のあり方、家族と社会との関わり方をいまいちど捉え直す作業が求められているのではないでしょうか。

介護殺人

岩野卓司

 ケアにはネガティブな面がつきものである。

 汚物の処理のような嫌な作業、言うことを聞かないどころかこちらを罵倒する相手、経済的にも困窮していく不安、自分の時間が奪われていくことへの口惜しさ、体力的にも精神的にも限界を感じる気持ちなど、ケアには多くの苦労がつきまとう。ここから心が折れてしまって、介護虐待、さらには介護殺人に至る痛ましいケースが見られる。

 その背景には、まわりへの迷惑を考え気兼ねする家族中心の考え方、日本社会の特徴である「死」による問題解決、介護離職などによる経済的困難と先行きの不安、介護の長期化による疲労とストレスが引き金となるノイローゼや鬱病などがある。ケアされる者とケアする者が孤立していき閉じた世界をつくり周囲と十分なコミュニケーションをとれなくなってしまっていることが原因だとも言われている。

 毎日新聞大阪社会部が取材した記録からなる『介護殺人──追いつめられた家族の告白』では、介護が行き詰って、家族を手にかけたという悲劇が綴られている。これは、毎日新聞の記者たちが、殺人の加害者や関係者に取材してまとめたものである。

1 認知症の妻の介護がもたらした悲劇

 まずひとつの事件を取り上げてみよう。

 2012年8月におきた事件である。妻は認知症になり、人格が変わってしまい、夜になると大声で怒鳴り散らすようになった。近所から苦情があり、夫が妻を一晩中ドライブに連れ出して過ごした。睡眠不足や過労から、精神的にも肉体的にも打ちひしがれた夫は、とうとう妻を絞殺するに至ったのだ。

 少々長いが、まずは引用文を読んでもらいたい。

 時計の針は午前2時過ぎをさしていた。世界文化遺産の姫路城がそびえ立ち、多くの人でにぎわう兵庫県姫路市の中心街もすっかり寝静まっていた。
 2012年の暑い8月も中旬を過ぎていた。木村茂(75)=仮名=は認知症の妻、幸子(71)=仮名=を助手席に乗せ、行く当てもなく車を走らせた。
 もう何日もぐっすり眠っていなかったから、頭の中がぼんやりとしている。記憶としてよみがえってくるドライブの光景は、もの悲しさを感じるものばかりだ。
 暗闇に浮かび上がる姫路城は「平成の大修理」のために大天守を素屋根で覆われ、翼を広げた白鷺のような雄姿は隠れていた。姫路港の先には、どこまでも沈んでいきそうな漆黒の海が広がっている。
 ハンドルを握りながら助手席に目をやると、シートに横たわる幸子は目をつむり、うとうとしている。
 どれくらい夜道を駆け抜けただろうか。かなりしんどくなったので、ゆっくりとブレーキを踏んだ。路肩に止めた車の中は静寂に包まれていたが、しばらくすると、幸子は目を覚まして怒鳴った。
「走れ」
「何しとんねん」
 茂は黙ってアクセルを踏んだ。
 こんな深夜のドライブは1カ月以上も前から毎日のように続いていた。認知症のためにほとんど別人になってしまった幸子が「どっかに連れて行け」と大声でわめくからだ。
 自宅に戻るのはいつも空が白みかけた頃だった。

 8月22日。いつものように、日付が変わった午前0時過ぎに幸子が起きた。茂がトイレに連れて行き、その後、処方してもらっている睡眠薬を飲ませた。
 いつも、幸子は「寝えへん」と言って、子どものように駄々をこねる。ベッドに横たわる幸子の背中をさすって眠らせようとするが、なかなか寝つかない。
 寝息が聞こえても、10分ほどたつと、目をぱっと見開いた。少し眠ってはすぐに起きる。そんなことを、この夜も6、7回繰り返していた。
 ただ、その夜は、なぜか幸子はドライブに行こうと言わなかった。その代わり、目を覚ますたびに、汚く、意味がわからない言葉で、これまでにないほどしつこく茂をののしった。
「お前みたいなもんは帰れ」
「お前はどこの誰や」
 午前2時を回っていただろうか。いつもなら、幸子を乗せて街をドライブしている頃だ。幸子はベッドに体を横たえたまま、鬼の形相で茂をにらみつけた。いくらなだめてもだめだった。
 幸子はとうとう狂ってしまったのだろうか。それとも、本当に自分を憎んでいるのだろうか。
 寝苦しい熱帯夜だったから、幸子の首には保冷剤を包んだタオルを巻いていた。茂は衝動的に、タオルの両端をそれぞれつかみ、首もとで交差させるようにして引っぱった。
「絞めたらあかん、絞めたらあかん」
 頭の中で呪文のように繰り返した。しかし、手は言うことを聞かなかった。涙がほおを伝うのを感じながら、さらに力を込めた。
 何分くらいたったかおぼえていない。気づくと幸子は目を閉じたまま動かなくなっていた。
 茂は目の前にあった睡眠薬数十錠を手の平に次々とのせた。それをまとめて口に含むと、テーブルの上に焼酎の瓶をつかみ、ラッパ飲みをして一気に流し込んだ。
「もう、これで終わりにしよう。自分もあの世に行こう」
                 〔中略〕
〔翌日の〕午後になり、近くの息子が駆けつけた。合い鍵で家に入った息子の目に映ったのは両親の無残な姿だった。
 幸子はベッドの上で息絶えていた。死因は首を絞められたことによる窒息だった。
 ベッドのそばの床に倒れていた茂にはまだ息があった。救急車で病院に運ばれ、一命を取り留めた。
 病院に運ばれて数時間で茂は意識を取り戻した。病室のベッドで寝ている理由がはじめはよくわからなかったが、警察官の姿を見てぼんやりと記憶がよみがえった。
「自分だけが生き残ってしまった」───。幸子が死亡したことを知らされると、後悔の念に襲われた。
 茂の症状は軽く、次の日に退院した。そして、その場で逮捕された。幸子を殺害した容疑だ。
 冷たい手錠をかけられた現実をはっきり認識した。半世紀近くも連れ添った大切な妻の命を、この手で奪ってしまったのだ(1)

 事の経緯をもう少し補うと、夫は時計店で長く働いていた職人であり、真面目な人であった。夫婦には三人の子どもがいたが、事件の頃はみな独立している。夫の定年退職後に夫婦で旅行をするのが、二人の楽しみであった。

 しかし、2009年ごろから、妻におかしな行動が見られるようになった。タンスの引き出しを繰り返し開閉したり、使わないアイロンを用意したりすることもあった。パート先の飲食店で簡単な注文を取りちがえたりもした。通っていたスイミングクラブでは、水着の着替えができなくなってしまった。

 2年後には原付きバイクの事故で妻は骨折した。その頃から、認知症の症状がひどくなる。下着だけで家の外に出ていったり、外でお漏らしもしたりするようになった。そこで要介護1の判定をもらい、デイサービスを利用するようになった。

 2012年春から病状は悪化する。妻は怒りっぽくなり、特に腹が減ると怒鳴り出すようになった。入浴、着替えも一人でできなくなり、介助が必要になった。おむつを着用していたのだが、便や尿がもれて部屋を汚してしまうようになった。その結果、要介護4に認定される。

 5月になると、夫が誰だかわからなくなる。汚い言葉でののしるようにもなり、夫は「お前」と言われるようになってしまう。6月に入ると、睡眠障害に陥り、夜中に大声で夫を怒鳴るようになった。最初は効果のあった睡眠導入剤も効かなくなる。うるさいとの苦情が近所から寄せられたので、深夜にドライブに連れ出す。以降、車の中で妻が眠るようになった。

 7月末、夫は深刻な体調不良となる。身体的、精神的疲労の限界に達する。深夜のドライブのつけがまわってきたのだ。ケアマネージャーから介護施設に妻を預けるように勧められる。しかし、受け入れ施設が見つからない。年金で入れるような特養(特別養護老人ホーム)は空きがない。民間介護施設は高額なのでとても手が出ない。ショートステイのほうも探してみたが、夜大声で叫ぶという理由で断られる。結局は自分で介護するしかないと、夫はさらに精神的に追い詰められていった。
 8月にとうとう事件がおきてしまった。夫は殺人罪で起訴されたが、執行猶予付き判決がおり(2)

 これが事件のあらましである。こういった痛ましい事件は、2009年から2019年までの統計によれば、年間20件から30件起こっている。在宅で介護している人の数からいうと、割合は高くはないかもしれない。しかし、介護殺人は決して他人事ではない。誰にでも起こりうるのだ。もちろん、多くの介護者は殺人を犯しはしない。だが、ごく普通の人が介護をしているうちに疲労していき、精神的に追いつめられて鬱状態になり、犯行に至るケースがあるという事実を忘れてはいけない。

 姫路でおきた事件は、この事実を雄弁に語っているのだ。

2 新聞連載を読んだ人たちの投稿、介護家族へのアンケート

 取材の結果は、まず「介護家族」というシリーズ企画として毎日新聞に連載されたが、読者の反響は凄まじいものだった。投稿した読者の多くが、犯人と自分を重ね合わせており、ひとつ間違えれば自分が犯人だったかもしれないという苦悩を綴っている。ふたつ取り上げてみよう。

「母の鼻と口を布団でふさいだら、楽になれる…と考えている自分に気づきます」
 脳出血と体がまひした母親を11年間、自宅で介護している看護師の女性(48)はB5サイズの紙2枚にびっしり書き込んだ手紙をよせた。
本書の第二章で取り上げた、寝たきりの母親を約10年間介護した末に殺害した藤崎さなえの記事を読んで、自らを重ねた。そして、何度も何度も読み返したという。「涙が止まりませんでした。まさに彼女は私でした。記事にいやされ、救われまし(3)

それから次のようなものもある。

 認知症の母親を4年半にわたり介護している女性(53)はメールで体験を送ってきた。約30年前にも認知症の祖母を介護したが、何度も「殺したい」という衝動にかられた。「比較的、楽な介護生活を送っていた私でさえ『殺してしまうかもしれない』という恐怖は常につきまとっていた」と明かし(4)

 このように実際に殺人や心中に至ってなくても、殺人の願望を抱いていた者は多数いるのだ。こういった介護者たちが家族を虐待していたわけではない。誠実に介護した結果、精神的、肉体的、経済的な負担からこういった殺意を意識するようになるのだ。献身的に贈与やサービスをする善意が、おぞましい殺意へと変化しているというわけである。

 2015年12月中旬ごろから、毎日新聞は全国の支援団体の協力の下で、介護家族にアンケートを実施した結果、254人から回答を得たという。

 そのなかで最初の重要な質問は、「介護している家族を殺してしまいたいと思ったり、一緒に死のうと考えたりしたことがあります」である。
 この問いに「はい」と答えた人は20%(48人)もいた。どんな時に殺人・心中を考えたかの問いに対しては、複数回答可で、一番多い答えが「介護に疲れ果てた時」で77%(37人)を占めた。次に、「将来への不安を感じた時」が40%(19人)だった。

 このように、介護者のうち20%が何らかの形で殺人の願望を抱いたことになる。介護者が不眠に悩んでいる場合、この比率はさらに高まり、38%とな(5)

 アンケートの自由記述欄に書いてあった介護者の告白には次のようなものもあった。

 在宅介護をして約5年。母親は徘徊を繰り返した。外に飛び出す母親を目の前にして「いっその事。車にはねられたらいいのに」と思ったこともあった。
 今は、そんなことを願った自分を責めているが、地獄の日々だったと綴る。
「介護ヘルパーさんは短時間で帰ってしまう。人手不足、予算不足は認識しているが、10年後、20年後を想像すると、自分も長生きしたいと思わない。切に行政に考えてもらいた(6)

 ここからも介護殺人が決して特殊な人たちが犯すものではなく、誰もがそれを犯す危険があることが分かるだろう。

 実際に殺人を犯してしまった者たちも、『介護殺人──追いつめられた家族の告白』によれば、献身的な介護をしていた人たちであった。それが一人で負担を背負い込んでしまったり、不眠の状態が長く続いてノイローゼだったり、施設もどこも満員で患者をあずけられなかったり、といった理由が複合的に介護者を蝕んでいったのだ。最初に長く引用した姫路の事件の加害者である木村茂(仮名)はインタビューに答えてこう述べている。「介護は一生懸命にやればやるほど、自分に余裕がなくなるんで(7)」。また、ここでは事件を取り上げなかったが、夫の命を奪った山下澄子(仮名)は、「なんでだんなを殺したのか、いまもわからへん。ただな、寝る間もない介護で、おかしくなっていたのは間違いな(8)」と答えている。彼らはそれぞれ、あまりに献身的な贈与や自己贈与をおこなったから、精神的に追いつめられていき、殺害という暴力に至ったのだ。

 介護殺人について長年研究している湯原悦子は、『介護殺人 ―司法福祉の視点から』のなかで、この暴力を「『やさしい』暴(9)」と名づけている。まさにその通りである。しかし、暴力は暴力であり、刑罰の対象になるのだ。こういった献身が生む暴力を考えるために、ケアや贈与の両面性(肯定と否定)を考えなければならないだろう。この両面性は、それぞれ二つの独立した面ではなく、ある同一物の表と裏の関係にあるのではないだろうか。

3 家族のあり方

 介護殺人に至らないようにするにはどうしたらいいのか。いろいろなメディアや書物で紹介されているが、毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人──追いつめられた家族の告白』と湯原悦子『介護殺人の予防──介護者支援の視点から』(クレス出版)を参考にしながらまとめておく。

 ①第三者の介入が必要な場合が多い。当事者は二人だけの世界をつくっており、客観的な対策を考えられてなくなっている。介護者も身体・精神の疲労で正常な判断ができなくなっているから、ケアマネージャーを中心とした頻繁な介入が必要である。それとともに、介護の悩みやストレスを日常的に相談できる相手も必要である。介護者どうしの集まり、相談会などに行くように呼びかけ、外に開けるようにさせることが重要である。

 ②ショートステイなどを活用して、介護者が休息を取れるようにする。イギリスでは「レスパイトケア」の制度がある。レスパイトは小休止の意味であり、この制度は介護者に介護を離れて休んでもらうという趣旨のものである。休んでいる間、介護施設が預かったり、ヘルパーや介護士が訪問して介護をすることが約束されている。夜間の在宅介護を代わってもらうこともできる。日本でもショートステイやデイサービス、夜間の訪問介護は存在するが、介護者に休息の権利を与えるという視点が欠落している。また、具体的な頻度や時間が定められていないし、緊急時や夜間でのサービスの体制もととのっていない。介護者の権利という視点から、支援を法律で定める必要があるだろう。

 ③高齢者の介護施設を増やすことも挙げられる。年金だけで入れる特別養護老人ホームは圧倒的に少ない。民間の施設は高額なので、誰でも入れるというわけではない。2022年4月の時点で特養も入居待機者は、27.5万人にのぼる。国は社会保障費を節約するために、在宅介護を推進している。その結果、訪問介護、デイサービスやショートステイの施設を増やしたが、介護離職者は2024年には11万人もいる。その理由は、「仕事と介護の両立はむつかしい」と「介護できるのは自分しかいない」というものが多い。国は「介護離職ゼロ」をスローガンにしているが、現実は程遠い。いずれにしろ、介護者の将来への不安を取り除かなければならないだろう。

 もうひとつ付け加えておきたいことがある。それは家族であることの呪縛である。「まずは家族が介護すべきだ」「よそ者が家族の問題に口を出してはいけない」といった家族優先の価値観が今でもはばをきかせている。嫁いできた嫁が子育てと介護をしなければならないという、かつての家父長的な価値観から、育ててくれた親の介護は子どもが「恩返し」としてしなければならないという家族中心の価値観まで、家族がケアを背負いこんでいるケースが多い。そのために、介護離職までして経済的に困窮してしまったり、四六時中介護に追われて、自分の時間をもつ余裕がなくなってしまうケースも多く見られる。家族が余計に閉ざされた空間になっていくのだ。

 今の時代、殺人事件の件数は減っているのに、親族間の殺人は増加している。2019年度は事件全体の54.3%が親族間の殺人である。そのうち33%が介護疲れや金銭困窮による将来の悲観が動機である。自分が我慢すればなんとかなると思い、それが耐えられなくなるとき、愛情が憎悪に変わってしまう。家族であることの甘えが悲劇を招く危険があるのだ。家族のように相手との距離が近いと、愛情の濃い関係を築けたりするが、この愛情の歯車が一度狂うと強い憎しみが生まれて、愛情は攻撃性や殺意へと変わっていくのである。

 介護の場合も、誠実で献身的な介護が殺人に至った例ばかりではない。同居する30代の娘二人が介護放棄して病弱な母親を餓死に至らしめた事件があった。そこには、母と姉の不仲が根本にある。姉は介護しなかったので、妹がひとりで介護するはめになるが、しだいに負担に耐えられなくなり、介護を放棄するようになる。その際に、第三者に介護を委託すればよかったのだが、それもしなかった。その結果、体力を失い衰弱していった母親はとうとう餓死するに至ったのであ(10)。ここで根底にあるのは、家族のあいだの不和であり、近いが故に生じる葛藤である。

 家族のあり方、さらには家族と社会の関わり方をもう一度考え直していくべきときが来ているのではないだろうか。介護殺人だけではない。ひきこもり、家族間の暴力、毒親、育児放棄、介護放棄なども、閉域と化した家族のあり方と結びついているのだ。

 介護における贈与も家族の愛情を前提にしている限り、家族のあいだの無償の贈与がいちばん尊いとされがちであるが、この無償の贈与があるとき限界に達して毒に変わってしまう危険を、僕らは常に認識すべきではないだろうか。

連載第10回は、12月27日(金)公開予定です。

(1)毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人──追いつめられた家族の告白』新潮文庫、2019年、20–25頁。
(2)同、34–43頁。
(3)同、262頁。
(4)同、263–264頁。
(5)同、237–239頁。
(6)同、241頁。
(7)同、50頁。
(8)同、58頁。
(9)加藤悦子『介護殺人──司法福祉の視点から』クレス出版、2017年、12頁。
(10)石井光太『近親殺人──家族が家族を殺すとき』新潮文庫、2024年、13–40頁。

執筆者プロフィール

岩野卓司(いわの・たくじ)
明治大学教養デザイン研究科・法学部教授。著書:『贈与論』(青土社)、『贈与をめぐる冒険』(ヘウレーカ)、『贈与の哲学』(明治大学出版会)、『ジョルジュ・バタイユ』(水声社)、共訳書:バタイユ『バタイユ書簡集 1917–1962年』(水声社)など。

↓ 第1~8回の記事はこちらから


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