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熊五郎と俺 〜逢瀬〜

ずっと試してみたいことがあった。
熊五郎の足跡は、そこに彼がいたという確固たる証拠。
しかしそれは、いつ残されたものなのか。
熊五郎の行動の、時間帯や周期を知りたい。
そこで、固定カメラを仕掛ける事にしたのだ。

カメラが届いてすぐ、とりあえずは熊五郎が
林道から獣道へと山を登った分岐点に設置してみた。
そのルートを定期的に巡回しているのではないかと思ったのだ。
翌日、ワクワクして映像をチェックしてみると、
鹿の親子がのんびりと歩いているだけだった。



11月21日。
熊五郎の足跡を初めて見つけた筋を辿っていた時、
斜面をガサガサと大きな生きものが歩く音がした。
息が止まりそうになり、膝をついて銃を構える。
しかし、笹藪から出てきたのは熊五郎ではなく
大きな雄鹿だった。

鹿に発砲して、もしそばに熊五郎がいたら。
熊五郎は私に気づかれないようにそっと身を隠してしまうだろう。
ここで鹿を撃つのは得策ではないかもしれない。
しかしこれまでの経験から、
全ての獲物は私自身が仕留めるというより
山の神からいただいている感覚があり、
必要以上の選り好みをしてしまうのは
山の神に失礼であり、下手をすると
神が機嫌を損ねてしまうような気がしていた。

熊を狙っていようが、きちんと撃てる鹿が出たらそれを頂き、
正しく解体して余すところなく肉を食べる。
そのサイクルに自然に乗っていることの方が
直線的に熊を狙いにいくことより大切に思え、
また、結局は熊を獲るのに繋がっていくように感じている。
私はその雄鹿を撃ち、山の神に感謝しながら丁寧に解体した。
残滓は綺麗に処理しても、鹿の匂いは残るはずだ。
私はそばにあった木の幹に固定カメラをくくりつけた。



翌日。
SDカードに記録された映像ファイルの数は200を超えていた。
カメラの設定は、センサーが動きを捉えてから20秒撮影し、
ストップすると5秒後にまた撮影が開始可能になる、というもの。
一つ一つ、見ていく。
前日に私が帰った後、最初に来たのはカラスやトンビ。
オジロワシやキタキツネの姿もあった。

100以上のファイルを見て、
夜がとっぷりと暮れた21時過ぎの映像。
突然、巨大な背中が画面を横切った。
熊五郎だ。
鹿を撃ったその夜に、早速匂いを嗅ぎつけたのだろうか。
感無量。
会いたくて会いたくてたまらない、憧れの存在。
白黒の映像ではあるが、
ようやくその姿を見ることができた。
ゆうに200キロはありそうな、
堂々とした雄熊。
歩くと、尻から腿がブルブルと揺れる。
冬眠を前にし、たくさん脂肪を蓄えているのだ。
その肉は、間違いなく旨い筈だ。
電池を取り換え、カメラを再び仕掛け直した。

翌日は、熊五郎は現れなかった。
この山域に居着いていても、
毎日同じルートを歩いている訳ではないことが分かった。

しかし、林道を少し上がったところで、
初めて熊五郎のフンを見つけた。
これまではヤマブドウやドングリなど
植物性のものしか入っていなかったが、
初めて白や灰色の毛が少しだけ混じっていた。
私が撃った鹿の毛に違いない。
今期、この場所では何頭も鹿を獲ってきたが、
ヒグマのフンに鹿の毛が混じっているのを見るのは
初めてのことだった。
私自身で言えば、パワーをつけたい時は肉が食べたくなる。
熊も、もっと動物性のものを多く食べていていそうなものだが
不思議と人間以上に植物性のものを好んでいる。
そしてなんと言っても、
一番の好物は糖度の高いコクワだ。
彼らが一番欲しているのは、冬籠りのための脂肪で、
それには糖分が最も有効だからだろうか。
最近の人間界では、低糖質ダイエットがブームである。
果糖や炭水化物の摂取を抑えることでスリムな体を目指す。
逆に太りたくてたまらない熊達は、
肉には目もくれず、甘いものばかり漁る。
それでも、肉を食べるようになってきたということは
さすがにもう、果実や木の実が殆ど無くなってきた、
ということなのかもしれない。

その夜、またカメラに熊五郎の姿が写っていた。
最初に姿を現して、中一日。
今度は深夜1時だ。
この時間に歩かれても、出会うことは不可能。
やはり活動は人間の気配のない夜がメインのようだ。
そしてそれが、熊五郎をカメラで捉えた最後となった。



11月28日。
ドカ雪が降り、スノーシュー無しでは
歩くことができなくなっていた。
林道にも熊の痕跡はない。
さすがに熊五郎も、もう寝ただろうか。

鹿の足跡を追って、獣道に分け入る。
午後遅めの時間に、美味しそうな雌鹿を仕留める。
とても嬉しくはあるが、
今シーズンの熊猟は、もう終わってしまったんだな、と
大切に灯してきた小さな炎が
風に吹き消されてしまったような気分になる。

「熊眠り やがて淋しき 雪の山」
解体を終え、下山したらSNSに
俳句でもアップしようと足早に歩いていると、
深々と雪を踏んでいる熊五郎の足跡を見つけた。

比較的積雪の少ないトドマツ林の中を歩いている。
一気に目が覚めた。
またしても、私は勝手に
熊がいないと思い込んでいた。
一体何度、同じ過ちを繰り返せば気が済むのか。
自分の注意力の散漫さ、想像力の欠如に嫌気が差す。
そして、また心の蝋燭に火が蘇る。
熊猟は終わってはいない。
まだ、やれる。



私が10月に熊を撃ち、
今も狙い続けていることを知っているハンター仲間からは
ヒグマに関する色々な情報が寄せられる。
どこの林道に、いくつか足跡があった、とか
あちらの山には複数の痕跡があって
かなり熊が入っていそうだ、とか。

私が通っている山域にいるのは熊五郎一頭だけ。
以前なら、そうした情報を聞くと、
すぐに居ても立っても居られない気持ちになって
広範囲に状況をチェックする日を作ったと思う。
しかし、複数の熊の痕跡がある、という情報は
最早私の心を動かさなくなっていた。

自分がきちんと分かっている山で、熊を追う。
こんなに面白いことは、他にない。
付け狙っているのは、ずっと同じ熊五郎。
こんなに夢中になれる相手は、他にいないのだ。


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