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Review 2020-2021




2020年10月1日から
2021年3月31日まで、半年間の猟期。
振り返ってみると、文字通り怒涛のような日々であった。

深夜に帰宅して血塗れのウェア洗濯機に入れて仮眠。
眠い目をこすり夜明け前に起き出し
まだ回っている乾燥機を止めて
生乾きの温かい服に無理矢理袖を通して出猟する。
一日の出来事をきちんと消化できないままに
次の日に突入していくことをひたすら繰り返してきた。

ここで一度立ち止まり、この猟期を俯瞰してみたい。



大きな出来事としては、交通事故を2度起こした。
1度目は林道に車ごと転落し、一発で廃車。
2度目は高速道路でスピンし中央分離帯に突っ込んだ。
両方とも、死んでもおかしくない状況だったが
不思議と全くの無傷であった。

交通事故で死にかけた当日に新しい車を手に入れ、
翌日にオホーツクまで走り、
人生最大の雄鹿を仕留めた。

1発の銃弾で2頭の鹿を倒したり、
海まで転落した鹿を
115メートルの崖をロープで降りて肉を回収したり、
心に深く刻まれた猟も多い。

刻まれたのは想い出だけではない。
ナイフで止め刺しをしようとした鹿に
思い切り蹴られてできた傷は
今でも小さな膨らみとして私の額に残されている。

念願のヒグマに出会うことはできなかったが、
ヒグマが鹿を埋めた土饅頭を見つけ、
更にはヒグマの死体も見つけたこともあった。



中でも今シーズン、大きく変わった点は二つ。
一つは、狩猟を全く知らない方々を、山にお連れしたこと。
もう一つは、狩猟の記録を文章に残したこと。
その中で、講演会や小学生への授業の機会もいただいた。



まずは、色々な方を猟にお連れしたことについて。

ハンター以外で、
狩猟に同行したいただいた人数を改めて数えてみると、
総勢27名であった。
中には2回、3回とリピートした人もいる。

内訳は、小学生1名、中学生1名、大学生2名、社会人23名。
男女別では、男性15名、女性12名。
解体体験ができた人21名、できなかった人6名。

獲った鹿は28頭。
内訳は、流し猟5頭、忍び猟23頭。

狩猟1年目が10頭、2年目が9頭、3年目が7頭だったので
4年目になって頭数は急に増えた。
鹿の数が増えていることに加え、
多少は技術の向上があったのかと思いたい。

また、到底自分では食べきれない鹿肉をもらって下さり、
美味しく料理していただける友人が増えたことにより、
心置きなく引き金を引けるようになったことも
私にとっては大きな変化だった。



続いて、狩猟体験を文章化してきたことについて。
週末は狩猟で極限まで体を酷使し、
平日日中に仕事をし、
文章を書けるのは平日深夜がメイン。
ソファで寝落ちし、白む朝日に目を覚ましたことが
何度あったことか。
執筆を継続させるのは、
思ったより全然大変なことであった。

そして、記事を書いていてしみじみ思うのは、
執筆と狩猟は基本的に全く同じである、ということ。
鹿が、止まった一瞬に撃たないと逃げられてしまうように、
文章も、書くべきイメージが見えているうちに仕留めないと
雲散霧消してしまうのだ。

どうしてもその日のうちに書き終わらない時には
思いつくキーワードだけでもメモしてから寝る。
足跡を辿って獲物に追い付けるように
痕跡だけでも残しておくのだ。
そして後日、メモ書きという足跡を改めて追うのだが、
徐々に雪に埋もれ、風に崩れる自然界での足跡同様、
時間が経てば経つほど
その時の感動やビビッドな心の揺れは茫洋とし
キーワードを連ねても文章の輪郭は薄れてしまう。

きっとそうやって、幾多の獲物を逃しながらも
なんとか残っているものを文字に繋ぎ止めてきたのが
この冬の私の文章だ。

書きながら、思い出す。
読み返して、思い出す。
自分の文章を、鹿のように何度も反芻する。
文章は食べものと違い、
何度反芻しても減ることはない。
さらには猟に同行した人自身や、
私の記事の読者もその文章を反芻する。

肉食動物が獲物を狩るように一瞬でイメージを捕らえ、
草食動物が葉を反芻するように時間をかけて文章を味わう。
雑食動物の人間ならではの
他の動物には真似できない行為なのかもしれない。



文章だけではなく、
講演会や学校での授業という形でも
狩猟体験を伝えることができた。
こちらは自分の力だけではできず
有難いご縁によって、そうした場を提供していただいたものだ。

いずれも、前の晩に徹夜で資料を仕上げ
本番に雪崩れ込んだ。
そこまで頑張れる力をくれたのは
そうした場を提供して下さったかけがえのない友であり、
一緒に狩猟に同行して苦楽を共にした仲間達であり、
師と仰ぐインディアンのキースであり、
そして何よりも、私に命を捧げてくれた鹿達だ。

巨大な雄鹿が雪を掻き分けて進むように書き
母鹿が我が子を守るように大切なストーリーを語った。
私の一部になった鹿が、私をして語らしめたのだ。
今まで感じたことのない
突き上げるような衝動が私を動かし続け、
私は疲れ果てながらも本当に幸せな日々を送った。



生命を維持するのに不可欠であり、
誰もが生きている間は毎日繰り返す
“食べる”という行為。

私たちが口にしているものは
例外なく他者の命だ。

日々喰らい続ける数え切れない死の上に
自分という一個体の生涯は在り、
そして最後に自分の命も返上する。

無限に繰り返される物語の中に
生命、自然、地球、は成り立ち、
そして私はこれからも
その不可思議を読み解く者として、
壮大な叙事詩の語り部として、
生命賛歌の唄い手として、
自分の生涯を捧げていきたいと切に願う。

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