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本が場所をつくる

「授かりものでできている」というZINEが手元からなくなりました。大体は自分の手で販売して、いくつかは売るのを手伝っていただいて、そしていくつかは狩猟者の方やあまり会えないだろうなと思う方々にお渡ししたりしました。その結果600冊刷ったZINEがなくなりました。すごいですね。嬉しいです。本当にありがとうございます。売上を見ると約400冊分売ったことになっていて、残り200冊はいずこへ?的状況ですが、狩猟者の方々にお配りしたり、たぶんこの機会に渡さないと会えないであろう人にお渡ししたりしたのだと思います。

僕は学生の頃から考えるとnoteに300記事以上は投稿しています。ネットには何か夢みたいなものがあって、もしかしたら僕の文章を憧れのあの人が読んでくれるかもしれない、と思ったり、書く仕事が舞い降りてきたり、書くだけで食えるようになるのかもしれないと思えたり、そんな甘い甘い夢がずっとあったような気がします。でも現実は真逆も真逆で、自分の書いた文章は長い間ほとんど誰の目にも留まらなかった。それでもやっぱり書きたくてずっと書いていたら、読んでくれる人が少しずつ増えてきた。そんなときに、自分にとって大切な人を傷つけてしまうような文章を書いてしまったこともあって、めちゃくちゃ反省して書くのをやめた。もちろんそんな文章を書いちゃう人間に書く仕事なんて一切舞い降りてこなかった。そんなこんなで、とにかく僕は人の目に触れる空間に自分の文章を書いて良い人間じゃなかった、そんな風に反省した記憶があります。

結局僕は1年くらいネットに書くみたいなことは短文も長文もやめて、気づいたことや思いついたことを、ただただメモするようになっていました。メモだけで足りなかったら、妻にだけ共有するようになりました。世の中で「承認欲求」という嫌なことばとして片付けられているSNSの投稿ですが、妻と喋っていると、こんなことがあってさ、と人に喋りたいという気持ちはとても素敵なものだと思うようになりました。ただ、妻と僕とのプライベートな空間での会話が世界中に流れたらそりゃあ嫌な気持ちになる人だっている。プライベートな場でしか喋ってはいけないことと、ネットに書くべきことは全然違うなあ。と、きっと誰もがわかっているようなことを、ようやく身にしみてわかるようになってきました。

そんななか、あるとき、ネットって何のためにあるんだろう?って思ったんですよね。そのとき考えたことのメモを見つけました。

ふと、近所のお風呂場でのことを思い出す。
お風呂場、温泉施設。
あの人今日来ないね、と誰かが言う。
ああ、そうだな、どうしたのかな。
秋田弁だからもっと早くて訛っていて親しみがあるのだけど、
こんなことをおじさんたちがしゃべっていた。

なんかそれがいいなあ、と思っていて、
なんとなく誰かが誰かのことを気にかけていて、
いつもくるあの人が今日は来ないね、と思っていて、
それをなんとなく全員がわかっている、
けれども、めっちゃ心配はしないで、風呂に浸かりはする、みたいな
そんなゆるい認識。

こんな場所が欲しいなあと思う。
極度に横のつながりだったり、近所のつながりが薄れていく世の中で、
誰かのことを少し思うことのできる場所や時間が欲しいなあ、と。
そんなことを思っていたのだけど、いや、待てよと。
SNSはまさにそういう場所なのか、と思った。

誰かが何かをやっていて、
なんとなくこの時間になったら投稿があったり
呟いたりする人がいる。
今日はあの人忙しいのかなと思ったり、
こんなこと頑張ってるんだ、と思ったり。
あのお風呂場の時間がSNSにはあるじゃんか。
そう思うと、めちゃくちゃ毛嫌いしているSNSという場が
とてもいい場のように思えてきたし、
そりゃみんなやるのかも!とも思えてきた。

でも、やっぱりいやなのはどうしてだろう。
SNSのいいねなどのことを承認欲求だと言い出したのは誰なんだろうか?
ともだちの話をきいて、それめっちゃいいね、という。
それのどこが承認欲求を満たしたり満たされたりなんだろう?
リアルだと普通の会話が、今のSNSを通すと、
承認欲求だなんだと言われかねないことになる。

あるいはこんなことやってみたよ、という世間話を
自分のイメージを高めるための「投稿」として利用しようとする流れがある。
今のSNSにはいろんな人が混ぜこぜに存在していて、
僕自身もみんなも、いろんな面を混ぜこぜにしちゃっている。
僕はそれにとても疲れている。

SNSの最初はもっとお風呂場に近かったのかもしれないけれど、
いま、もうSNSはお風呂場ではない。少なくとも僕にとっては。
たぶんそう感じている人が多くなっているからこそ、
リアルなお風呂場のような場やその場所で生まれる関係を楽しもうとする人が
きっと増えているのだ、と思う。

とはいえ、結局好きなお風呂場にも異物が入ってきたら、そりゃ嫌だ。
少しずつ少しずつ、前とは違って、何かが変わって、
ぼくたちの居場所ではなくなっていく。
その辺はリアルも非リアルもきっと同じだと思う。

つまり、いずれにしても、
お風呂場のような場所が僕は欲しい。
できればあんまり変な人が来なくて、場を乱すような人がこない。
もしまちがったことをしたとしても、素直に謝れる人ならいい。
その場所を自分のもののように扱わないで、
みんなのもののように考えられる人にきてほしい。
そういう場所に集まる人と、
別に毎日話すわけでもないけど、たまにひとことふたこと何かを交わすような、
そんな生活があったらいいのになと思う。

この文章をもう一度読み返してみて、ふと思いました。僕にとって近所のお風呂場、銭湯のような場所が、本なのかもしれない。ネットやリアルな場ではなく、本だからこそ言えること、伝わることがある。そして、僕が言いたいことや伝えたいことは本の中だからこそ書けることがたくさんあるような気がしています。その本をどうにかこうにか世の中に生み出すことで、本が場所になって、いろんな人と話したり一緒に物事を考えたりするきっかけになる。さまざまな場所で実際に売り歩いたことで、僕の本はそんな場所になってるんじゃないか、とそう思いました。

ネットという場所で本領発揮する人もいれば、本という場所で本領発揮する人もいる。僕は今までネットという場所で頑張ろうとしてきたけど、すごく合ってない感じでした。でも本ならここまでいくのか!と思えるくらいグンと飛び立てたような感触があるんです。もちろん本を1冊作るのはそれなりにエネルギーが必要だし、そうそうできることではないのだけど、でも僕の主戦場は本だぞ、と思ってこれから動いていきたいなと思っています。noteという場所も好きは好きだけど、やっぱりここに書くことと本に書くことは違いますもんね。

・・・

ということで、本がたくさん世の中に出回って嬉しいなあという話と、ネットで書くことと本に書くこととの違いを書いていきたいなと思ったら、ちょっと話がまとまらなくなりそうになっているのでこの辺でやめておきます。とりあえずまた何冊か刷って手で売って回ります。できれば刷るたびに1章分くらい付け足して刷りたいけど…ま、無理はせず軽やかに刷っていきたいです。

そして実はこの本のおかげで念願の書く仕事ももらえました。「授かりものでできている」、タイトルの通りまじで授かりものでできている。それについてはまたいつか書きたい。ということで、雑文御免で恐縮です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

最後の最後にいただいて嬉しかったご感想について。

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