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スーパーボール

もえこにとって、雨の季節はゆううつだった。

雨に濡れるのはきらいではない。でも、街全体の「どうもすみませんね」「わたしなんかどうせ」という卑屈さに、街の人々ももえこもみんな飲み込まれてしまって、みんなどこへもいけなくなってしまう感じがいやだった。

色彩も音奪われて、街まるごと閉じ込められたみたいだ。

1日中降り続く雨を部屋の窓から眺めつつ、もう何度目になるかわからないため息をもえこはついた。

「浮かない顔してるねえ」

いきたりノックもなしにもえこの姉、あさみが入ってきた。

「この雨じゃあ浮こうにも浮けないよ」

窓ガラスに移った姉を見ながらもえこは答える。

「もったいない。たった29200日のうちの貴重な1日を、そんなふうに過ごすなんて」

あさみは鼻歌をくちずさみながら、なにかを探すようにふらふらともえこの部屋を歩き回っていた。

「むしろお姉ちゃんはどしてそんなに楽しそうなの」

「まあ、あたしは魔法が使えるからねえ」

全然もえこの方を見もせずにあっけらかんとそう言う。あさみはときどき、こういう冗談とも本気ともつかない不思議なことを言うことがあった。

周りの大人たちは、ふたりの両親でさえそれをあさみの作り話だと信じて疑わなかった。けれどもえこにはそれが本当だということがわかっていた。

あさみが時々大人たちに内緒で本当に魔法を使うところを、小さな頃から何度となく見てきたのだ。

ぬいぐるみたちに命を吹き込む魔法、なにもないところに物語を作り出す魔法、花や鳥やおさんぽ中の犬と会話をする魔法。

少なくとも”ごっこ遊び”の域ではない、空想を現実に変える力が、たしかにあさみにはあった。

「じゃあ、魔法でこの気分も吹き飛ばしてよ」

「待って、今その道具探してるから……あ、あった」

なにやらごそごそと机の上を漁っていたあさみは、もえこの宝箱からラメの入った透明なスーパーボールを取り出した。縁日のときに買ってもらった、お気に入りのスーパーボールだった。

そしてすっと息を吸い込み、背筋を正してもえこに向き合った。

もえこも椅子に座ったまま、心なしか背筋を伸ばす。あさみは魔法を使うとき、切り口上からはじめるのだった。

「雨粒にはね、余計なものを吸い取って、丸め込んでしまう力があるの」

「余計なものって?」

「人々の悲しい気持ちだとか、やり場のない怒りだとか、そういうもの」

もえこはうなずいて先を促す。

「でもね、雨の力は強力だから、余計なものに紛れて、楽しい気持ちとかそういう大事なものまで、ときどき吸い取られてしまうの。浮かない気持ちになるのはそういうわけ」

「うん」

「そこで」

「そこで」

「じゃーん。このスーパーボールで今から雨に楽しい魔法をかけます」

もえこはぱちぱちと手を叩く。なにが起こるのかわからないけれど、あさみが魔法を使うときはいつもこうして手品師と観客ごっこになるのがもえこは好きだった。

「窓の外見ててね、いくよ」

1,2,3とカウントを取ってスーパーボールを思いっきり窓の外に投げる。

「あっ」

もえこが思わず声をあげたのは、お気に入りのスーパーボールが外に投げられてしまったからではなかった。

一瞬にしてすべての雨粒が、そのスーパーボールになってしまったのだ。

ほんのわずかに時が止まったようだった。ぴたりと静止した雨粒は、まばたきの隙間にすべてラメを含んだ透明の球体に変わり、そのまま地面へと落ちていった。

「うわあ」

スーパーボールの雨粒たちは、地面につくとそのまま好き勝手に跳ね返り、街中に散らばった。

雲の間からかすかに差し込む光を金色のラメが乱反射させて、どんよりくすんだ街は不思議なかがやきを帯びはじめる。

スーパーボールの当たった場所には、雨に奪われていた色と音がよみがえった。みるみるうちにカラフルな喧騒を取り戻した街を透明な球体がポップコーンのように跳ね回る。それは浮かない気持ちを浮き上がらせるには十分なほどの景色だった。

「イッツ、イリュージョン!」

あさみは得意げにそう言い放つ。

もえこはまたもぱちぱちと拍手をした。小さくて偉大な魔女に送るにはその拍手はあまりに控えめすぎたけれど、あさみはとても嬉しそうだった。

「29200日分の1日がこんな日になってよかった」

その日のことは翌日の町内新聞の一面を飾った。見出しは『異常気象!大量のスーパーボール、空から降りそそぐ』。

朝食でそれを読んでいたお父さんが

「こんなのどこかの魔女の仕業だろう」

と言いながらコーヒーを啜るのを、もえことあさみはこっそり顔を見合わせてくすくす笑い合うのだった。


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雨粒がぜんぶスーパーボールなら静かな夜もこわくないのに

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