きこえない歌
強い風が吹いて、さあっと木々が揺れた。
「あー、目に砂はいった」
ハードコンタクトのオサダにとって、砂は天敵、らしい。
左目からだけぽろぽろと涙をこぼしながら、何がおかしいのか、引きつったように笑いながら砂と格闘している。
いつもと変わらない学校の帰り道。季節は変わっても、道幅も、空の高さも、隣にオサダがいるのも同じだ。
痛がるオサダを横目に見ながら、それでもわたしはなんとなくいつもと感覚が違うことに気がついた。
今、わたしはなんだかうれしかった気がする。
少し考えて、それが風に揺れた街路樹のことだということに思い当たる。
さあっと風が通り過ぎていく瞬間、木々たちはいっせいに声をあげて、何かを共有したように見えた。
選手がゴールを決めた瞬間のスタンドのような、もしくは高く上げたタクトが振り下ろされた瞬間のコーラス隊のような。
風がどんな合図を送ったのかはわからない。けれどあの街路樹たちにとってはあの瞬間、心を震わせるような何かが起きていた、ような気がした。
なんだかそのうれしそうなかんじがとてもよかったのだ。
わたしにはわからないところで、案外そこかしこでささやかな幸福が起こっているみたいで。
また風、吹いてくれないかな。木々が歓声をあげるところがまた見たい。オサダには悪いけど。
「なんで笑ってんの」
いつの間にか砂との格闘を終えていたオサダが、いつの間にか笑っていたらしいわたしをきょとんとした顔で見る。
「ううん、なんでもない」
この感覚がうまく伝えられる気がしなくて、わたしは笑ったまま首を横にふった。
「ニーヤマって不思議ちゃんなところあるよねえ」
困惑したように笑うと、オサダは両指を首のうしろで組んで、頭をあずけながらてくてくと歩き出した。
「まあ、感性なんてみんな違って当たり前だし、そういう意味では自分以外の人間みんな不思議ちゃんか」
半ばひとりごとのようにそう言う。
「あたしなんか、自分で自分のこと不思議になるときもあるもんなあ」
「そうそう、そういうことだよオサダ」
わたしは、今自分が考えていたことが自然とオサダに伝わったみたいでうれしくなった。今日はうれしいことが続くなあ。
「なにが」
「他人にはわからない世界を、あたりまえにみんな持ってるでしょ」
「うん。うん?」
「理解できなくていいんだよ。わからないからおもしろいんだよねえ」
「あたしには今あなたのことがわからないよ」
「ふふふ」
もう一度風が吹く。さあっと木々が歓声をあげて、今度はオサダもぎゅっと目をつぶった。
わたしはただ呑気に空を見上げながら、違う世界を持っているけれど、あたりまえのようにみんな一緒にここにいるってのがいいな、と思った。
***
木には木の猫には猫のうたがあり聴けないことをうれしく思う
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