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【歌詞翻訳】 連れていけないのは君だけだ 趙雷 成都 日本語訳

去年の頭くらいから、心のどこかで今日までの距離をカウントダウンしてきた。
具体的にあと何日か指折りして数えたりはしなかったけれど、11日になにか大事な予定が入ったとき、国の不手際が目立ったとき、ふとしたときに今日3月11日までの距離を測ってきた。

私はあの日まだ中学生で、東京で美術の授業を受けていた。当時の席順はこれまでで一番と言っていいほど仲の良い友達が固まっていて、先生が陶芸の窯を見に行くと教室から出ていったのをいいことに、作業もせずみんなでおしゃべりしていた。

揺れが収まって、隣の部屋の技術科の先生が飛んできて、上履きのまま校庭に出されたのち、しばらく周りは決めごとをしたり、泣いている子を慰めたりしていた。その間私は神経が太い何人かとその技術科の先生が機転を利かせて避難の際握りしめてきたラジオを囲んだ。その時初めて、ずっと都市伝説のようにいつか来ると言われた東京直下型地震ではなく、東北が震源地の地震だったと知った。

私はいわき出身ではないし、津波も直に見ていないし、家も流されていなければ家族を亡くしたりしていない。ニュースであの衝撃的な津波と事故の映像を見るまで浜通りに原発があるなんて知らなかった。ただ祖母や叔父と同じ訛りを話す人々が津波の恐怖を語るのを聞き、東京で断水、帰宅困難、計画停電…次々と起きる副次的なトラブルをただ傍観し、困惑し、受け入れただけだった。

おそらく経験したすべての人がこれまでに一度は私と同じように「あの日」から始まる回想をしたことだろう。「あの日家にいて…」「あの日仕事で…」「あの日卒業式の練習をしてて…」
今日、そんなあの日から10年も経ってしまった。

この曲を作った趙雷は決して意図して作詞したわけではないだろうけれど、同じく大地震を経験した四川の街「成都」への思いを首都出身の趙雷がある種の郷愁を込めて歌うこの曲は今日の私の心にすっと染みる。いわきは私の故郷ではない。けれど小さいころから通った思い出深い街。かつては帰る場所だった。

だから今日は歌詞をこう変えたい。
分別總是三月,磐城 帶不走的只有你
別れはいつも3月、いわき 連れていけないのは君だけだ

作詞作曲 趙雷

讓我掉下眼淚的 不止昨夜的酒
讓我依依不舍的 不止你的溫柔
餘路還要走多久 你攥著我的手
讓我感到為難的 是掙紮的自由
涙があふれるのは 昨夜の酒のせいだけじゃない
まだ放したくないのは 君の優しさだけじゃない
これからどれだけ進もうと 君は僕の手を握りつづける
僕をつらくさせるのは もがく自由なんだ

分別總是在九月 回憶是思念的愁
深秋嫩綠的垂柳 親吻著我額頭
在那座陰雨的小城裡 我從未忘記你
成都 帶不走的 只有你
別れはいつも9月 思い出は懐かしさの愁い
秋の若い柳が僕の額にキスをする
あの曇り空の町で 君を忘れたことはない
成都 連れていけないのは君だけだ

和我在成都的街頭走一走 喔…
直到所有的燈都熄滅了也不停留
你會挽著我的衣袖 我會把手揣進褲兜
走到玉林路的盡頭 坐在小酒館的門口
僕と成都の路地を歩こう ohoh
灯りがすべて消えても歩みは止めない
君は僕の袖を引く 僕は手をポケットに入れる
玉林路のはずれで 小さなバーの入り口に腰掛ける

[間奏]

分別總是在九月 回憶是思念的愁
深秋嫩綠的垂柳 親吻著我額頭
在那座陰雨的小城裡 我從未忘記你
成都 帶不走的 只有你
別れはいつも9月 思い出は懐かしさの愁い
秋の若い柳が僕の額にキスをする
あの曇り空の町で 君を忘れたことはない
成都 連れていけないのは君だけだ

和我在成都的街頭走一走 喔…
直到所有的燈都熄滅了也不停留
你會挽著我的衣袖 我會把手揣進褲兜
走到玉林路的盡頭 坐在小酒館的門口
僕と成都の路地を歩こう ohoh
灯りがすべて消えても歩みは止めない
君は僕の袖を引く 僕は手をポケットに入れる
玉林路のはずれで 小さなバーの入り口に腰掛ける

和我在成都的街頭走一走 喔…
直到所有的燈都熄滅了也不停留
和我在成都的街頭走一走 喔…
直到所有的燈都熄滅了也不停留
你會挽著我的衣袖 我會把手揣進褲兜
走到玉林路的盡頭 走過小酒館的門口
僕と成都の路地を歩こう ohoh
灯りがすべて消えても歩みは止めない
僕と成都の路地を歩こう ohoh
灯りがすべて消えても歩みは止めない
君は僕の袖を引く 僕は手をポケットに入れる
そして玉林路のはずれで 小さなバーの入り口に腰掛ける


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