孤独を感じられるってことは成長なのかもしれない
人に会うという行動はエネルギーが必要ですよね。
人にできるだけ会わないように生きてきました。
でも、それは本来の自分の性格が起こした反応ではないような気もするのです。
大学に入って、新しい環境に馴染めずに、寂しくてアパートの部屋で三角座りして夜に一人で泣いたこともありました。
高校時代は、家庭環境も友達といれば乗り越えられると思えるほどに、いい友達といわゆる青春を楽しみました。その反動で、大学は本当に辛かった。
今あるわたしの中の虚しさは、あの頃から始まった気がします。
都会の人たちに自己開示ができず、周りと自分を比べて自信が持てずに心から繋がれる親しい友達ができなかった自分を防衛するためか、人と会うよりもひとりでいたほうが楽だと思い込むようになりました。
やがて就活の時期が来た頃のわたしは、親から受けた虐待のダメージが爆発し、精神的にボロボロで、症状として身体に出るようになっていました。
自分が不幸になることで、親に自分の育て方に問題があったと思わせたくて、わたしは就活をしませんでした。
結局その後就職しても、わたしは世間的に言うと高学歴であったため、高卒の同世代の先輩には最初から嫌われていました。要するに、そういう人間がいるようなところに就職したのです。就活において努力することができなかったことは、今でも後悔しています。
入社早々嫌われたわたしですが、わたしは劣悪な家庭環境で生きてきたので、媚を売ることは得意でした。そのため、時間はかかりましたが、どうやら相手は仲間と認めたようでした。
わたしは、平穏のためにそういう行動を取ってしまうので、本心から仲良くしたいなんて気はさらさらありませんでした。
しかし、自分が仲良くしたい人と仲良くなるのは難しいです。
どこまで踏み込んでいいかがわかりません。
もう、仲良くしたい人とだけ仲良くしたいです。
そのまわりの取り巻きに嫌いな人がいると、自分の仲良くなりたい人とも壁を作ってしまいます。
本心を見せるってのも難しいです。わたしは小さな嘘を何故か咄嗟に吐いてしまいます。
わたしはこの歳になってもちゃんとした交際経験がないことが非常にコンプレックスです。
仲良くなると、行き着く先は恋バナと相場は決まっています。それを避けたいから、なんとなく薄い会話を繰り広げてしまいます。小さい嘘を吐きながら。
でも、わたしがいちばん受け入れてほしいことってそこなんだと思います。
経験がないからって変な風に思わないでほしいのです。
わたしは家庭環境に転ばされて、少し遠回りをせざるを得ませんでした。それを人に説明するのは難しいし、わたしと似たような環境で生きてきた人のなかには、すでに結婚してる子だっています。
いや、人と比べるのは良くないね。ごめんごめん。
正直友達がみんな結婚して、こっちもやっぱり遠慮してしまう。その積み重ねで過去の友達とも心の距離ができてしまいました。辛いです。昔はなんでも話せたけど、今は違います。昔の友達にも、自分の恋愛経験のなさが嫌なんだよねと言えないのです。きっと気づいてると思うのに。
そんなこんなで、人が大好きな学生時代を過ごし、人と関わるのが難しくなって、ひとりでいいやと開き直って、今また急に心の繋がりがすごくほしいんです。
今まで自分は結婚しないと思っていました。したくないのではなく、自分には関係のない事柄だと。
自分にとって宇宙旅行とほぼほぼ変わらない認識でした。
それが、驚くことに、結婚したいと思いました。
子どもがほしいかもしれないと思いました。
理由は、ひとりは寂しくて、子どもは可愛いからです。
動機はあるけど、人と仲良くなる方法がわかりません。恥をかきたくないんだと思います。勇気が足りない。
人との関わりの場面を増やそうと思います。ひとつの場所でうまく行かなくても、他の場所なら適応できるかもしれない。
ここでだめなら他でも通用しねえぞとかいううるさい脳内アンチがツイートしてきましたが、うるせえぞと無視します。わたしはポストと言うのがいまだに恥ずかしいです。
人との関わりを増やす場に赴くのってエネルギーがいりますよね。そして、そこに行き続けるのもすごく大変。
わたしは今、人と関わりたいと思えるエネルギーは湧いていますが、それを実行し継続する分はまだないかもしれません。
しかし、そう思えただけですごいです。
孤独って何よりのエネルギーになる分とっても辛いですよね。
この辛さがいつかエネルギーとして放出できますように。少しずつ自分を育てていきます。
打倒!毒親!なのです。
今日はなんか文章の書き方を忘れたので、変な書き方をしてみました。
自分の精神状態が出て興味深いという意味で面白いです。