人生が嫉妬心でずっと苦しいので自分なりに解決法を考える回

ここ数年ずっと苦しい。自分の現状と理想とのギャップに苦しめられている。
わたしは地方に住んでいることに対して巨大なコンプレックスを抱いている。

東京に行くと、遊びに行っているにもかかわらず、高層ビルで働いている人たちが同僚とランチに行く様を見ると胸が嫉妬心で張り裂けそうになってしまう。
大きな会社で仲間と協力して仕事をして、その中の一員となっている人が羨ましくて仕方がない。高層ビルで働くということ自体にステータスがあると感じている。内実は知らない。とにかくパッと見てかっこいいからだ。

わたしが就活をしている時代はブラック企業について騒がれているときで、自分の就活の軸もとにかく残業が少なく休みがきちんと取れるということを念頭にしていた。

働き方について社会問題となり、残業をさせない風潮が広がりつつあった最中にコロナ禍になったこと、SNSでのジェンダー平等の議論の白熱等で、よりワークライフバランスの見直しに拍車が掛かった。

わたしも数年遅く生まれていれば、やってみたかった仕事に純粋にチャレンジできたのかもしれない。
わたしが嫉妬で狂いそうな目線で見ている大人たちは、劣悪だった就業形態を乗り越えての現在である可能性は大いにある。そして今もなお残業をするのがあたりまえであるような環境であることも否めない。
気持ちが落ちているからなのか、短絡的に物事を瞬時に判断してしまうことが増えた。一部のシーンのみを見て勝手に羨んでしまう。

わたしは高層ビルで働きたいのかどうか。それが本当に理想なのか。それすらわかっていないのだ。それが本当に自分の欲求なのか。
都会の高層ビルで働く人たちは、娯楽も享受しやすい環境にある。平日は仲間とともに仕事をして、休日は時間をかけてどこかに赴かなくとも近場で偶然の出会いによる新しい経験を得ることが可能だ。
仲間とともに仕事をこなすということが1番の理想なのかもしれない。
ひとりではなく仲間と。仲間と乗り越えるという経験が欲しい。

自分の理想が何なのか。高いビルで働くこと。周りの評価を得られること。高級車に乗ること。都内の広いマンションに住むこと。自由に休めること。高層ビルで働けばそれらを得られるわけではないと、普通に考えれば分かるのに、焦りと絶望感で苦しくて、短絡的に考えてさらに自分を苦しめる。
他人から見て羨ましいと思うであろうものを手に入れたいのだ。何のためなのだろう。

自分の欲求は他者から認められることがいちばんになってしまっている。自他境界が適切でないとそうなるらしいと今日知った。要するに、よく言う「人は人、自分は自分」ということのようだ。

わたしの長所は、他人に対しては自分と違う意見を持つことに対して寛容であることだ。しかし、自分に対しては、他者とまるっきり同じに合わせないとならないという妄想に囚われている。例えば、体質などでできないことに対しても、自分の努力が足りないからだと自分を責めてしまう。
この自他境界が不適切であるという自分の課題が、見ず知らずのエリート企業戦士に嫉妬心を抱かせている。

この問題を解決すれば、自分の本当の理想像というものが見えてきそうな気がする。
まずは、できないことややりたくないことを断ることから始めよう。我慢をしなければいけない人間関係なのであれば、それはそもそも破綻しているし、自分の問題ではなく相手の問題であるというのが精神医学的な考えだそうだ。
こうしなければならないというべき思考は、自他境界の曖昧さから起きる思考ということだと解釈した。
今自分が苦しんでいる巨大な嫉妬心を解消するには、日常におけるしたいこと・したくないことを他者に伝えることから始まりそうだ。

自分はできないことが人より多いのがコンプレックスだから、これが自分である。と自分自身を認めていきたい。それにはまず、自分は人よりできないことが多い点がコンプレックスであると感じている自分を認めると自己肯定感の向上に繋がるとも聞いた。

嫉妬心を手放すまで果てしないように思えてくる。
自分を大きく苦しめるものを細分化すると、自分の感じている感情をありのまま受け止めることというのが一貫して言えることだ。

だからわたしは、できないことが多いことにコンプレックスを感じていることを認める。そのことを認めた上でできないことが多いことを認め、できることに目を向ける。そしてできないことを素直に他人に打ち明ける。そのことに対して他人がどう思うかはわたしの問題ではないと線を引く。そうすることで、自他境界が適切な位置付けとなり、「人は人、自分は自分」と自分のことを認められるようになる。そうしたら仲間もできるのかな。現段階の自分には想像がつきにくいが、最終的には嫉妬心を手放すことができるのだろうか。まだ解像度が低く、思考が堂々巡りで正解は出せない。

手っ取り早く努力をせずに幸せになりたいと願ってしまう。幸せな形がなんなのかわからないままに。
幸せかどうか決めるのは自分の心次第なのに、それがすごく難しい。

自分は短絡的に導かれた答えを信じてしまう傾向にあるので、今回はあえて短絡的な答えを導き出す。
「できないことは恥ずかしいことではない。できないことはできないと言う。この自己主張をすることで自他境界線が適切となる。さすれば嫉妬心は消え去るだろう。そして本当の自分の欲求が見えてくるはずだ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?