大義とは?
皆様、こんにちは。
東大卒の25歳で教育分野での起業を準備している
佐藤黎司(さとうれいし)と申します。
今回は自走とは何か?という記事で言及した
「大義」について、さらに掘り下げます。
哲学的な話ばかりしているなと
思われるかもしれませんが、
よろしければお付き合いください。
復習:なぜ大義の話をするのか?
自走に関する記事をお読みの方は
飛ばしていただいてもよいですが、
念の為復習したいと思います。
自走とは何かという話の中で、
好き勝手にやればいいのかという
問題提起を行い、
それではダメだろうという話になりました。
そして、好き勝手と自走を区別するのが
「大義」ではないかという話をしていました。
大義とは何か?
まずは、辞書的意味の確認から行いましょう。
意味合いとして、私が使う観点だと
2番目の意味になるかなと思います。
あなたが、それをやる意義は何か、
なぜ、それをやるのかということを
説いて納得してもらえる。
それが、大義がある状況だと考えています。
なぜ、大義が必要なのか
よく利用されるmust, can, will(又はwant)の
フレームワークから考えるとわかりやすいかも
しれません。
must:やるべきこと
can:できること
willl:やりたいこと
ざっくり言えば、この3つが揃うとよいという
話なのですが、大義は主にmustの部分ですね。
mustという観点である大義がなければ、
自己満足、暴走になってしまいます。
自走の話でも触れましたが、
私は新卒として入社してすぐに
大先輩から大義の話をされました。
改めて考えたときに示唆に富む
金言だったと感じます。
具体的な場面
自分の経験から大義が大事な例を
話してみます。
合気道部のSNS担当の話
自走の回でも触れましたが、SNS担当の話は
比較的わかりやすい例だと思います。
最終的にみんなが納得してくれたのは
新歓、コロナ禍、オンラインというような
状況を踏まえた大義があったからだと思います。
みんな手間が増えるのは嫌だ。
そんな中よくわからんことを黎司がいい出した。
最初はそんな感じだったかもしれません。
しかし、説明を尽くすことで、
必要性を理解してもらえた。
大義が状況を大きく変えた例です。
EC2インスタンス自動停止スクリプトの話
会社に入って1年目のときに、
部門全体で検証環境として使っている
AWS(アマゾンウェブサービス)の
EC2インスタンスの自動停止スクリプトを
作成しました。
少し説明を加えますと、EC2というのは
AWS社が提供するクラウドの仮想サーバです。
詳しく知りたい方は、
調べていただければと思いますが、
このサービスはサーバが稼働している期間を
もとに費用が加算される従量課金制です。
そのため、停止忘れによる費用が
問題になっていました。
当時私はプログラミングが全くできなかったため
かなり苦労しながらとはなりましたが、
若手メンバー数人と一緒にPythonで
スクリプトを作り、自動で停止するように
しました。
結果的に費用最適化に大きく貢献できました。
このときも、他の方が一緒にやってくれたのは、
費用の削減という大義があったからでしょう。
上長もリソース確保など協力してくださり、
通常業務と並行しながら取り組むことが
できました。
そして、ここでプログラミングに触れたことで、
それでも初心者の域を出てはいないですが、
この後、内製システムの開発チームに
参加するときに積極的にチャレンジできました。
自分がやりたいことと大義をリンクさせると、
道が開かれて行くと思います!
歴史上の話
最後に余談として、私が好きな歴史の話を
少しさせてください笑
越後(新潟)の英雄・上杉謙信
まずは、私の故郷越後の英雄・上杉謙信です。
上杉謙信は義の人というイメージですが、
家臣からすれば、戦争大好きな上に
領土確保ができない困った殿様だったのではと
思います笑
実際、武田信玄らの調略があったとは言え、
とんでもない回数の裏切りを経験しています。
正直、当時の家臣からすれば、
大義があったのか微妙なところ
それでも、あんな動きをしていても、
戦い続けるためには「義」を掲げるのは
1つ合理的な選択であったのかもしれません。
もちろん、武将としての天才性、
青苧に代表される資金力。
それらが上杉謙信という武将を支えたことは
間違いありません。
しかし、あえて他の人の表面的な大義を超越する
大義を掲げたところに1つの戦略が
あったのかもしれないと感じます。
大谷吉継と石田三成の話
もう1人は、私が敬愛する大谷吉継です。
彼は石田三成の親友として有名かと思いますが、
石田三成との関係性は大義の価値を感じます。
関ヶ原の戦いの際、大谷吉継は
東軍側の会津遠征に参加しようとしていたと
言われます。
ちなみに会津というのは、上杉謙信の後継者
上杉景勝と、直江兼続という有名な家臣がいて、
覇権を握りつつある徳川家康に対し、
戦争の準備をしているという理由で
徳川家康が遠征をしたというものです。
このとき、石田三成は家康不在の隙をつき、
挙兵する計画を立てます。
そして、親友である大谷吉継に相談します。
大谷吉継は、勝ち目がないと、
思いとどまらせようします。
五大老筆頭格で圧倒的実力を持つ徳川家康と、
五奉行の1人とは言え、当時謹慎中で
人望にも乏しい石田三成では
勝負にならないと考えたのかもしれません。
しかし、三成が考えを変えないことを
悟った吉継は、親友のために、
全力を尽くすことを決めます。
例えば、西軍と言えば、
石田三成のイメージですが、
総大将は実は毛利輝元なのです。
これも、石田三成の人望を補うための吉継の策。
このように、単に味方するだけでなく、
全力で道を切り開く姿が尊敬できます。
結果的に関ヶ原では大敗しますが、
小早川秀秋の裏切りも予見していたと言われ、
対策として、部隊も配置していました。
※その部隊まで裏切ったため、
防ぎきれなかったのですが。。
冷静に状況を見つつも、
親友のため、そして主君豊臣家のために、
全力を尽くした姿に私は感動せざるを得ません。
そして、冷静な判断をしていた
大谷吉継を動かしたのは石田三成の大義だったと
思うのです。
おわりに
本当はさらに管仲と鮑叔牙の話も
大好きなのですが、ここは歴史談義ではないので
このあたりにしましょう笑
このように、大義というのは非常に
重要であると個人的には考えています。
そして、私の言う「大義」が皆様に
少しでもイメージしやすくなれば
大変幸いです。
それでは、また👋