おもしろおかしく書いてみたい、私のちょっと変わった人生
こんにちは、私の名前はカト!
三十路の無職。
事務、看護師を経験しました。
今後はここに生い立ちだとか、病気のことだとか、日々のことだとか、つらつら書いていきたいと思う。
みんなどういうふうに書いているのだろう。
今回は生い立ちをダラダラと書いてみます。
◯生まれ
物心着いた瞬間、私はトイトレをしていた。
お腹もお尻も痛くて、
こんな笑顔ではなく壮絶な顔をしてたと思う。
◯幼稚園 “冷静に見つめる眼差し”
家族と離れてここで過ごすんだ、と悟った入園式。
なんとなく受け入れた幼稚園生活。
ここでの3年、女の世界みたいだった。
あの子嫌い、好き、話したくない、遊びたくない
あの子におともだち盗られた おもちゃ盗られた
落ち着いてその様子を眺めていた覚えがあります。
その頃の私は体格がかなりデカくて2人同士の綱引きは相手をブッ飛ばしていた。デブでごめんね、上村くん
◯小学生 “声出せぬ、場面緘黙症”
ここで私は初めて自分の違和感に気づいた。
人前で、ご飯が食べれない
人前で、声が出せない
国語の音読は順番になるとトイレに逃げた。
掛け算の九九を発表するテストは休みまくった。
本当に声が出ないのだ。出そうと頑張れば頑張るほど心臓がドキドキする。身体がこわばる。見られていると思うと口が開けられなくなる。ご飯が食べれない。
そんなことだから6年間友達はできなかった。
むしろ気味悪がられていたし、見せ物みたいなイジメもあったと思う。
最近世界仰天ニュースを見てわかったが
『場面緘黙症』という特性だったらしい
場面緘黙の原因や発症メカニズムは、まだ研究段階で、未だに正確なことは分かっていない。
ゲームが好き同士で会話もせずに遊んでくれていた友達が1人いた。ありがとう、合田くん。
そして6年生、
衝撃イベントが発生してしまう。
父の会社!放火!全焼!
完。
火災保険は降りず、秒で借金まみれになった。
ー 借金取り来る、父失踪 ー
1人残されたお母さんと子供3人。
『ママは働く、家は引っ越す』
私は中学入学とともに他区へ転校を
母親から言い渡されたのだ。
ー 私転校?家は新居? ー
小学校生活はかなり悲惨なものだったので、むしろ現状から離れられることにワクワクした。
(大人になって知ったけど一家心中を心配されるほど悲惨な家族だったらしい)
◯中学生 “下顎前突症とイジメ”
私たちは庭も家もバカ大きくて広い和風の家から、小さな小さな団地に引っ越したのだ。
悲惨だった小学生時代を反省し、私はリベンジを試みた。
色んな人に勇気を出して頑張って話しかけた。
なぜならみんな新しい人だから過去の自分を知ってる人は居ないのだー!!
(場面緘黙あるある、知らない場所では案外話せたりする)
…
友達がたくさんできたのだ!!!!
…
否!
それは束の間だったのだ!!!!!
即、イジメられるの巻
相手はスクールカースト上位の男子
原因としては私の容姿の悪さ。
そこからは毎日の地獄が始まった。
朝自習の時にファイルで頭を叩かれて、
登校時に会ってしまうと外でも何かを言われてしまう。
私は仲良しな友達に尋ねたのだ。
『私の顔ってそんなに変かなぁ?』
相当困ったと思う、ごめんね局ちゃん
それから私はだんだんと不登校になるわ、
朝自習は逃げちゃうわ早退するわ、
どんどん落ちこぼれになっていった。
カースト上位がそうすると、今までふつうにしてくれていた人も相手にしてくれなくなるのである。
ブスに厳しい世の中だよね。と、思っちゃった。
そしてカースト上位たちの私のモノマネを見てある日気づくのだ。
「ワイってまじで人と違うのでは?」
健常な人って噛んだ時に上の歯が前に来る。
私は下の歯が出ていた。
正式名称でいうと『下顎前突症』
そう気づいた頃には夏休み突入。
夏休みは毎日毎日、下の歯を押した。
とにかく力ずくで、毎日引くほど押した。
…。
その結果、噛み合わせが正常になった。
下の歯が引っ込んだのか、普通にしている状態で顎が引っ込んだのか分からないけど普通になったらしい。
友達のお母さんから『矯正?手術?あんた口周りなんかした?治るんやな』とボソッと言われた、
やっぱりおかしかったのかよ!
そして、夏休みは終わり学校が始まったのだ。
イジメって火がつくと終わりはなくって。
三年間、結局ずっとその男子には会うたび嫌なことを言われた。
でも、その男子からイジメを受けたことで早いうちに気づいて噛み合わせを治せたのも確かで、不幸になってくれと思っていたが感謝はしている。
(成人すると骨が完全に固まるから修正は大きな手術でしか直せないんだって)
その頃、兄は定時制の学校に通いながらフルでバイト、母もほとんど顔を見ないくらい仕事をしていた。
それでも電気が止まったり水が止まったりしていた。家計は間に合っていなかった。ご飯がもやしだけの時も何回もあった。
また同時に母親に恋人ができた。
子どもに対してのせめてもの気持ちなのか、策略的なものなのか、広い家に住んでいる恋人の家に引っ越そうという話も出ていた。
最後の夏休みはお試し期間として母親のパートナーが住むマンションに家族で住むことになった。
反抗期すぎる私は断った。
この時の親子仲は最悪だったと思う。三階から引き摺り落とされ車の中で殴られたこともあったし、みんな良くも悪くもニンゲンらしかった。
そんな凶暴で反抗期な私に母親は3千円を置いて弟を連れてマンションに向かったのだ。
その夏休みの間は袋麺で生きた。遊んだ。自転車を使って2時間掛かるみんなが住むマンションまで行ってみたり、とにかく自由に過ごしてみた。
夏休みが終わる頃には10キロ痩せていた。
家はそんなだし、勉強もしてないし、卒業したら私も中卒でパチ屋で働こうって決めていた。
『カト、普通の高校行きなさい』
と卒業ギリギリに母親が突然。
ー 俺が高校?ギリで高校? ー
公立は受かるはずなく名前書けば受かる私立に行くのであった…。もちろん奨学金を借りて。
◯高校生 “勉強と資格と就職と”
私は小学生で転け、中学生で転け。
もう攻略したのだ。
私みたいな底辺層は顔が良いか否か、オーラがあるかないかで3年決まる!!と。
なんて浅はかな。
ただその浅はかすぎる考えは幸運にも良い方向に向かった。
虐められることはなくなった。
し、同級生の恋人もできた。
し、意地悪な女子を制圧することもできてしまった。
人って、立場が違うと簡単に動くのか。と、悟った。
この頃は完全に反抗期だったので家に帰らず
恋人の家⇆学校⇄バイトを繰り返した。
そして運良く(?)真面目な恋人だったので、
相手に負けないように勉強を頑張った。
バカな私立だったので中学の復習をやっていたらしいけど、初めての勉強が意外にも楽しく頑張れた。
結果三年間、私はずっと2位の成績だった。一度も恋人には勝てなかったけど、勉強って楽しいもんなんだと気づくことができた。超遅いけど。
その恋人は特待生で学費は全て免除の対象だった。中学の時に知ってたら私も借金背負わなかったのだろうか…とか思ったり。
完全にセーフティネットから外れていた中学時代を少し恨んだりしたのだ。
高校を受験するとき、名前を書けば受かる私立のなかでも『商業科』を選択した。なんとなくパソコンを扱うの好きだしっていう。
大人が働く姿を見たことなくて、将来は事務?それがふつう?とか曖昧だった。
常に三年間、早く卒業して働かないと、という気持ちだった。それほど家計はひどいものだったのだ。
どうやったら普通になれるのか、安定したお仕事、お金がもらえるお仕事、なんでもいい。弟のためにも早く働かないといけない。
多分その焦りは高校の先生にも伝わっていたと思う。
私は入学してすぐ、先生に就職先名簿を見せてもらった。
過去の先輩たちが就職した会社の名簿。
毎年大体それらの企業から募集が掛かる。
私は一年生の早い段階で、その中の一番待遇が良い会社に目をつけた。
高校生活頑張ってここに入る!!!
その思いで成績上位をキープして、資格もたくさんとった。
『私をここに推薦してください!』
「カトさん、ここ、あんたの先輩がブッチしちゃってもう募集来なくなったの」
そこから自暴自棄になりかけた。
あんたくらい頑張れた子なら他でやれる!と、なんかよくわからない会社にぶち込まれてしまった。
無事卒業
完。