おもおか まさかの入院
こんにちワンツー🐶
はい、前回はバイクで転倒して准看護学校を自主退学したところまで書きました。
今回は約4ヶ月の入院生活について書きます。
TOPの画像は唯一の一枚。
脳梗塞患者さんとリハビリスタッフ。
なんでか、たくさん写真を撮ったはずなのにこの時代だけ丸っと消えている。
入院生活(急性期) “患者の気持ち”
バイクで転け、救急外来に連れられ、即入院となった私。
翌日、入院着に着替えると体が腫れてるし紫のアザだらけなことに気づいた。
事故当初、ペラペラのジーンズに簡素なジャンパーを着ていた。さらには見た目重視の半ヘルメット。この身なりで70キロの速度で投げ出されたのだ。半ヘルの側面はガッツリ削がれていた。
この程度の骨折だけで逆によかったのかもしれない。
このとき、私は痛みより不潔の観念で心がやられそうだった。
病院の事情ですぐに手術ができなかったのだが、手術までの期間は入浴許可が降りずに清拭を自力で行っていた。
もう、汚いのなんの。泥や砂の黒さならまだ良い。
人間ね、汚くなりすぎると黄色くなるんですよ。脇とか。陰部はペットボトルと持参の石鹸を使ってトイレで洗った。
(本当、他の若い患者はどうしてたんだろう。)
手術前日は先生からお話があった。
『鎖骨の手術は、いつかドレス着たりするだろうから傷はものすごく小さくします』
はぁ、なんて優しいんだ。
手術当日、
手術室に運ばれるときには既に意識がなくなっていた。(説明なしに鎮静剤は良いのか?)
あっという間の手術。
「あ、目が開いた」と両親が私を見下ろしている。
手術はもう終わっていたのだ!全く覚えてないわーー!!!
麻酔ってすごい!ただ鎮静剤入れる時は言ってほしかった!耐えるぞ!麻酔で寝ないぞ!って思ってたのにフライング爆睡!!!
手術後は足にギプスが巻かれていた。鎖骨には大きなガーゼ。
1週間後、
ギプスを外し、バカでかい装具を装着することになった。その際に使うギプスカッターで思い切り足の皮膚まで切られた。
『痛い!やめて!』
「そんなはずはないです!」
結果、大出血。看護師悲鳴、技師さん平謝り。
ドデカい装具生活、固定された感が全くなかった。意味はなさそうだった。
理学療法士は医師と装具屋にキレていた。
点滴は男の新人が何回も刺した、新人の練習したい気持ちはわかる!何回も耐えた、頑張れ!
のちに先輩が駆けつけ、相当怒られていた。
倫理観がない新人だったのか後日ラインの交換を申し出された。まじで意味わかんなかった。
(今なら分かるけど、この病院はかなりずさん)
色々あったが私自身は看護師になりたい身だったので、急性期病院での入院は貴重な体験で毎日楽しかった。
リーダー看護師のベッド調整がド下手で、私はしばらく重症かつド認知症患者のばあちゃん3人と過ごしていた。
毎日の唸り声とオムツの匂いは22歳の私にはきついものがあった。気づけ、なぜ気づかないリーダーさん。
傷の説明がない先生、アクシデントをやらかしたギプス技師、適当にあしらう新人。おばあちゃん悪くない、でも流石に認知症のお部屋に私を入れないで。
患者はこうやって不信感を抱いていくのか。
『おとうちゃあーーーーーん。』
『帰りダァァァァァい』
帰りたいよね、おばぁちゃん。
…私は寝たいよ。
そうして2週間あっという間に終わってしまい、私は区外のリハビリ専門病院へ転院した。
入院生活(回復期) “患者の気持ち”
急性期病院とリハビリ病院は想像以上に雰囲気が違った。
リハスタッフ、激多い。
忙しいけどみんな笑っている感じ。
見た感じ、私と同世代のスタッフばっかりだ。
私もこんなふうになれたりするのかなぁ。
そして、初日に車椅子の私にすごい勢いで向かってきた女性スタッフ。
『風呂、何日も入ってないんやないと!?』
ええ!?いきなり!?でもそうです。
この人、私の転院サマリーを見たのか。そこからはすぐにお風呂に入ることができた。
バイクで転けて全回復するまで4ヶ月あったが、この対応が一番感動した。そして今でも忘れない。
看護の基礎を唱えたのはナイチンゲール。
准看護学生のときは“ふーん”って感じだったけど、清潔って…本当大事よ。人間としての基礎よ。
忘れない、このこころ。
いろんな人との集団生活 “戦う人たち”
入院生活は1日がめちゃくちゃ長い。一応、即退院は可能だったけど、どう頑張っても膝から崩れるような歩き方だった。生活に支障が出るのは困るので早期の退院は諦めた。
ここでの入院生活、様々な人生背景を持つ患者に出会った。
畑で転げ落ちて足を骨折したおばあちゃん
酔っ払って転げて首から下に麻痺が残った家族持ちのお父さん
脳卒中で数ヶ月意識がなかった超現役75歳おばぁちゃん
結婚式の司会を生業にしていたけど病気で呂律が回らなくなったおばさん
みんな色々な理由でここにいる。
年齢は違えど病気や事故の苦痛と戦っていた。
仕事で声を使う人の発声や舌の筋肉を奪うなんて病気は残酷だ。働き盛りの男の人が患者さんのなかにいた。激務が続いて脳梗塞になったのではないか?と思った、本当に人生には報われないときがある。
いろんな人が泣きながら話す姿に私まで泣きそうになった。
酔っ払って転げ落ちて身体がほぼ動かなくなった人とお話ししたときは、私は相当運が良かったのだと改めて思った。
ゆったりと進む入院生活 “人生と孤独”
いろんな患者と毎日毎日お話をしても一日の長さは変わらない。わたしは高齢者向けに行われているレクレーションにも皆勤賞並に参加していた。
足を上げたり、風船でバレーをしたり毎日日替わりですることは変わる。
相当変人だったと思う、それでも時間が余った。
今まで働き詰めで考える余裕がなかった、准看護学校でもバイト勉強勉強バイト。
時間がありすぎて、
この時期、人生についてゆっくり考えた。
病院で生活すると感覚が麻痺する。
毎日みんなと触れ合えて、毎日笑顔で挨拶されて、何者かになったような気分になる。
夜の消灯時間、1人になるとふと、我に帰る。
私は何もないタダの人間だ。
仕事を辞め、学生を辞め、私は無力だ。
恋人もいないし、私はなんなんだ?
退院した後の将来はどうなるのかとかふわふわ考えていた。
病院に患者としていることはいい機会だから、その時できることをした
看護スタッフにどこの学校がいいか相談したり。
患者目線での経験を今後生かせたらいいなとか。
掃除のおばちゃんは、私が持参した看護学生専用の雑誌をみたのか真摯に応援してくれた。
スタッフのなかには近場のスーパーまでバイクに乗せてくれたりした。数回、脱走した。
それがバレて師長に怖いくらい怒られた。
いろんなトラブルあったが無事に私は退院した。
退院後の生活 “どうするの?これから”
家にいるとさらに現実が直接私を襲ってくる。
「これから私はどうする?」
削れたヘルメットを見ながら考えていた。
残ったのは保険金だけ。
私の今の目標は正看護学校に受かること。
受験科目は数学、英語、国語、小論文、面接
…
ふーん、
准看護学校とはレベチ〜〜〜〜。
まず、小論文ってなに?
まず、書ける書けない、苦手、得意とかじゃないんよ、わたしは。
「小論文とは?」でググった、概念をググる。
私、作文と詩しかわからんのよ!!
心の中の千鳥ノブが込み上げる。
勉強を受験のために頑張ったことない。どう勉強するのかも分からない。予備校は私のレベルじゃ無理だと言われ、助言してくれる人も居ない。
…詰んだ。
完。
とはさせない!!!!
私はまだここでは死なないのだ!!!!
『家庭教師やな!!!』
私は家庭教師に頼ることにしたのだ!
ダメ元で家庭教師を探すことにした!
そこで人生の師匠に会うことを私はまだ知らない。
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