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日記『東京物語』と『銀河鉄道999』理解できない感情

2023/01/08

今日は長めの映画を4本続けて観たせいで車酔いみたいな体調不良を起こした。

『風と共に去りぬ』を上下ノンストップで観たので凄まじい満足感だ。

(残りの3本は、『東京物語』と『インターステラー』と『コーヒー&シガレット』だ。全部面白かった)


映画を観ていても、「この人は何で泣いてるんだろう」とか、「この人は何でこんなことしてるんだろう」と思うことが多い。

小津安二郎の『東京物語』は特にそうで、映像や演技が好きで映画として魅力的だと思うけれど、最後のシーンで原節子演じる紀子が泣くところではいつも「何で泣いてるんだろう」と思ってしまう。

展開からして不自然だとは思わないので、多分私の感情のレパートリーの中にない部分なんだろう。iPhoneの顔認証のある世代とない世代みたいなもので。

こういうことがある度に、私は感情の機微を感じる力が弱いんだなと落ち込む。少しでも理解したいから、事あるごとに母にきく。

言語化されると半分くらいは分かった気になるが、実感は伴わない。

最近だと『銀河鉄道999』で、サケザンという野生的な無法者と不本意に暮らしていた女性が、一度はサケザンから逃げようと銀河鉄道に乗るのに結局サケザンのところに戻るというストーリーが、まったくもって理解できなかった。

支配的な男性のところにいて、逃げようとするけれども結局その男性のもとに戻る女性、という展開自体は、全く別の作品でも見たことのあるパターンだ。

でもなぜこんなことをするのかは分からない。
母はこのストーリーをこう説明した。

「もともとは酷いことをしてきた相手でも、いざ逃げようとしたら一緒に暮らすうちに知ったいい部分とか、愛してくれたことに気づいたり、ひとりサケザンを残していくことが可哀想になって戻ることにしたんじゃない?」

他人の評価がそんなに簡単にくつがえることはあるのだろうか?

自分がこの女性ならどうするだろうかと布団の中で考えてみたけれど。私ならさっさと鉄道に乗ってしまうだろう。

どんなにあとからフォローされても、許す許さないに関わらず、されたことは忘れられない。

自分の自由より情を優先させることはできないだろう。ひとりで銀河鉄道に乗って、車掌さんと話して、色んな駅を旅して、食堂でビフテキを食べる方が楽しそうだ。(ずっとお葬式をやっている星の話がよかった。あそこに行ってみたい)

それから正直なことを言えばメーテルのことが本気で好きなのでメーテルにも着いてきて欲しい。

いつか、こういう分からない領域の感情が理解できるようになるとしたら、それもまた楽しみだ。

ところで、松本零士作品に出てくる女性キャラクターが節目がちに描かれることが多い気がする。

ミステリアスで素敵だなと思って、ここ最近は節目がちに過ごすのがマイブームだ。多分周りからしたら「最近眠そうだな」と思われているに違いない。

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