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「人の気持ち」を分かろうとする事
今回の記事は私の「生きていく上で意識しているもの」が色濃く出ているかもしれません。
故に内容が偏ったり、感情的な文章となり不快に思われるかもしれませんが、おじさんの独り言だと思って気軽に読んでいってください。
タイトルを見て、子どもだなぁと感じた方も少なくないでしょう。
社会を生きている大人であれば「人の気持ちなんて分からないもの」と割り切ってる人の方が多いです。
そう、割り切った方が楽だから。
自分へのストレスが少なくなるから、他人の気持ちは二の次にする。
そうやって社会は回っている。
中には「考えてもキリがないもの」に分類分けすらする人も見受けます。
正直言うと、そういったタイプの人間が嫌いなんです。
分かりますよ、もちろん。
・まずは自分の事をしっかりしないと。
・自分を幸せに出来ないと他人を幸せに出来ないよ。
などなど色々言われますよね。
でも「自分の事をしっかり出来てる人」というのはほんの一握りだと思うんです。
実際身の周りでもそうです。
どこまでいったら「自分の事をしっかり出来ている人間」なのか?
冷静に考えてみると、気が遠くなりませんか?笑
そもそもしっかりした人達は「ここまで出来たらしっかりした人間」というハードルが無いんです。
どんな生活でも心に余裕があるから、他人と比較することもない。
逆境でも人生を楽しんでいるから、心が荒むこともない。
なので私個人の意見としては、「人の気持ちは分からないもの」と割り切っている人は心が疲れていたり、現状に満足いってない確率が非常に高いんです。
それがダメだとは思いません。
ですが理想に生きられないからといって、現実に逃げるのは現実を生きている事にはならないと思うのです。
背伸びしなくたっていいじゃないですか
私も、これを読んでくれてる方も、他人に配慮され、気持ちを汲んでもらってここまで生かされているはずです。
なのになぜ「分かりっこない」と切り捨てることが出来るのでしょうか。
気持ちというのは形の無いものです。
水と同じ。
どんな色にもどんな形にもなり、蒸発したり固まったり。
形の無い割には「変化」するんです。
水を掴もうとしても手から溢れるばかり。
気持ちも一緒。
だから「汲む」んです。
大きい器で。
人と人が手を取り、お互いの気持ちに配慮が出来る世の中になれば、もっともっと、生きやすくなるのではないでしょうか。
人の気持ちを分かろうとする事は、理想を生きる事と同意かもしれません。
ですが今の自分を知り、余裕を持った心で相手の気持ちを汲む事が出来たら人生はもっと明るいものになるはずです。
私はこれからも、人の気持ちを汲む事に努力を惜しみません。
理想からも、現実からも逃げないために。
「自分の事をしっかり出来る人間」になるために。