青い窓主宰 佐藤浩氏を悼む ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲
皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^-^)
今回は、佐世保のタウン誌「ナインティ・ナインビュー」にて掲載していただいた「青い窓」主催の佐藤浩様とのトークをご紹介いたします!
「青い窓」の誕生や青い窓設立後のエピソードなどをお話ししていただきました。
まずは弊社 社長内海と佐藤様との出会いからご覧ください!
佐藤様との出会い
石川洋先生の会が京都であり、特別講演で青い窓の佐藤先生とお会いしました。 このご縁で、福島県郡山市の柏屋の青い窓を訪ねて、あらためて佐藤先生、本名さん、橋本さんとお会いして青い窓の設立から今日にいたるまでの話を聞き、あたたかい波動に包まれました、とても幸せを感じました。
※対談の本文は、2009年3月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。
青い窓主宰 佐藤浩氏を悼む
<ヒューマンニュースレターVOL.34(2009年3月発行)より転載>
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲
今回のヒューマントークは、昨年2008年10月10日老衰のため旅立たれました青い窓主宰の佐藤浩先生を悼み、今から16年前、弊社創立40周年特別企画で佐世保のタウン誌「ナインティ・ナインビュー」に掲載していただきました、ヒューマントークをそのまま掲載いたします。
当時お元気だった佐藤先生のお話はとてもなつかしく、とても素敵なお言葉を残されています。
16年前のトークですので、16年前の自分にタイムスリップしてお読み下されば幸いです。
●子供たちの詩が聞える「青い窓」佐世保に誕生~ヒューマンギャラリー
子供たちの詩を飾る“青い窓”が早岐の佐世保自動車学校アプローチに誕生した。全国で11番目の「子供たちの夢のウィンドー」だ。
“青い窓”は、昭和33年5月1日に郡山市にある和菓子屋「柏屋」のウィンドーから生まれた子供たちの想像力豊かな“詩の解放区”。これまでこの窓に集まってきた詩の数は約27万点。数々の名作が生まれている。
この“青い窓”が誕生するきっかけは、元ガキ大将の素敵な四人(全盲の詩人 佐藤浩さん、和菓子屋の本名善兵衛さん画家の橋本貢さん、ディスプレー屋の篠崎賢一さん)の大人たちの昔話から、子供たちに共通の思い出の場所を造ろうということからだった。
それが、今では全国に広がり多くの子供たちの夢を広げるようになり、昨年、赤い靴文化事業団からこれまでの功績が認められ「文化大賞」が贈られている。早速、ヒューマングループの内海和憲社長はお祝いに出かけ、「青い窓」のメンバーにお話を伺った。
●あの青い空のように。
内海:今回の受賞おめでとうございます。また今年から“青い窓”を佐世保でも開かせていただくことを嬉しく思っています。丁度私どもの会社は今年で創立40周年を迎えます。新しい出発の年にふさわしいものだと思います。これを機に地域に密着した文化活動を行っていきたいと願っています。ところで、“青い窓”は実に良いネーミングですが、どなたがつけられたのですか?
橋本:僕がつけたのですが、僕達福島の人間にとって空の青さは格別な思いがあるんです。都会から帰ってこの澄んだ青空に出会うとほっとする。それと僕が画家なので絵の具の澄んだ青色をイメージしたのです。
●子供たちに育てられる。
内海:ここまで来るにはご苦労もあったと思いますが、何か思い出に残っていることなどお聞かせねがえませんでしょうか?
佐藤:苦労という苦労はないんですが、子供たちに詩を教えようと思ってはじめたのが、逆に教えられ、私たちが育てられたような気がします。たとえば「大人は土地を見、子供は土を見る」ことを教えられました。それで子供たちの詩を募集したのですが、最初の一年は大人からの児童詩が多かった。集まってくる詩の幾編かを集めてリーフレットを作り、全小中学校に贈ったんです。子供たちの詩を募集していますというので。そうしたら、それが忘れもしないのですが、小学校五年の工藤ひなえちゃんから「なみ」という詩が届いたんです。私たちはその詩に驚きました。初めて子供の目で捉えた詩に出会ったんです。私たちは嬉しくなって、みんなでひなえちゃんに会いに行きましたよ。
橋本:大げさな言い方かもしれないけど、子供の詩は僕達の人生を変える力を持つものが多いですね。
内海:それはどんな詩だったのですか?
佐藤:こんな詩でした。
内海:いい詩ですね。
本名:この間、横浜の授賞式の時来てくれました。現在は中学校の先生をしていて子供さんがいます。
内海:35年続けているとそうでしょうね。またその先生から子供たちに“青い窓”が引き継がれていくんでしょうね。今、月にどれくらい詩は送られてくるんですか?
佐藤:大体3,000点ぐらいです。しかし、リーフレットに載るのは十数編しかありません。もっと載せたいのですが、経費を考えるとこれで精一杯です。しかし、子供たちは載らなくても毎月毎月、書いて送ってくれます。その内容は約七割が環境についての詩で占めています。子供は時代に敏感なのですね。
●眼で聴き、耳で視る。
内海:佐藤先生はよく「眼聴耳視」という言葉を使われていますが、これはどんな意味なのでしょうか。
佐藤:この言葉は芸術家の河井寛次郎の言葉でして、仏教の「物の本質は目に見えない。目で聴いて初めて捉えることができる」というものなのです。それで、青い窓では創刊以来、子供たちに「良く見つめ、よく考え、ていねいに生きましょう」と呼び掛けています。それはこうも言えると思います。目で見るのが作文、目で聴くのが詩。自分との出会いこそが詩を生み出すのだと思います。河井寛次郎は、また「この世は自分とであうためにある」とも言っています。
内海:自分と出会う。原点は自分の中にあるのでしょうね。私共の会社も人間の心が大切だと考え、ヒューマングループの名称で事業を展開しています。今日、みなさんのお話を伺いながら、自分を見つめなおすきっかけができました。
佐世保での“青い窓”はこれからスタートしますが、無理をせずに時間をかけて取り組んでいこうと思っています。まずは社内の子供たちへと広がっていければなぁと思っています。
そうして、これからの次代を担う子供たちの可能性がすくすくと伸びるよう“青い窓”がそのお手伝いをできたらと願っています。
※16年前、青い窓が誕生するきっかけとなった故佐藤浩氏、和菓子柏屋会長本名善兵衛氏、画家であり青い窓の名付け親である橋本貢氏との対談でしたが、16年前にタイムスリップして読んでいただけましたでしょうか?いつの時代でも、子どもたちは見て感じた想いを誰かに伝えようとしています。しっかり向き合って受け止めてあげたいですね。これからもヒューマンスクール、ヒューマントラベルの玄関前には子供たちの詩を継続して掲示してまいります。立ち止まって子供たちの詩をぜひ眼で聴いてみてください。
故 佐藤 浩 儀プロフィール
大正10年 郡山市生まれ。中学三年の時、鉄棒の事故で左目失明。
昭和14年 東京医科医専に入学するが、医学の道から文学の道へ傾倒。
昭和16年 国民学校就職、児童詩と出会う。
昭和23年 完全失明。
昭和29年 針灸、マッサージ業を開業。
昭和33年 幼なじみの友人と月刊児童誌「青い窓」を創刊。
昭和56年 子ども向け伝記「青い窓からひろがるうた」を小学館より発行。
主な著書 「遠くへ行かないでおかあさん」「童顔の菩薩たち」
「さけぶ子つぶやく子」「子どもの深い目」等
朝永のつぶやき
最後まで読んでいただきありがとうございます!ここからは担当が今回のトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです♪
今回は青い窓が誕生してからのエピソードをお伺いしました!皆さまいかがだったでしょうか?
私は1ヶ月おきにヒューマンスクール早岐アプローチの青い窓の詩を入れ替えているのですが、いつもどの詩を飾ろうかとても悩みます。
それはどの詩も子供たちの言葉で書かれていて、読んでいるだけで心があたたかくなってくるからです(*^-^*)
本文に登場した「なみ」という詩もとても素晴らしいですよね!
海を眺めていても波が踊っている、こっちに来るというように考えたことがなかったので読んでいてとても新鮮な気持ちになりました。
現在も、ヒューマンでは青い窓のウィンドウに子供たちの詩を飾っていますので近くを通られた際にはぜひ読んでいただければと思います!
子供たちの感性を青い窓から感じてみてください♪
それでは今回はこの辺で!また次回お会いしましょう。
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