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私が精神科にいて分かったのは、一度壊れた人間はそう簡単には戻らないということ

「最初に」


私はけっこう前に精神科病棟で働いていた。
とは言っても勤務年数は1年とちょっとぐらいなんだけど、そのたかが1年とちょっとでもよく分かったのはタイトルどおり、「心が壊れた人間はそう簡単には戻らない」ということ。
戻らない、というか少なくとも私が病棟で見てきた人たちは、退院しても7~8割ぐらいは再入院で戻ってきたし、たいていは症状が回復するどころか、酷くなっていくか、良くても現状維持って感じの人がほとんどだったと思う
この仕事で私が学んだのは、うつ病になったらそう簡単に再起できないし、そうなりそうだと思ったら、意地でもその原因となるものから逃げるべきだ、ということ。

まあそうは言っても、私も適応障害になって見事に無職になったのだが。

精神科で働くことになるまで

新卒で入った会社を辞めてしばらくはフリーターをやってたんだけど、さすがにずっとこのままではまずいと思い、家から車で通える範囲の病院の面接を受けた。
正社員で働けりゃなんでもいいや。
そんな感じで面接はあっさりとおった。人事に希望の部署があるか聞かれたが、正直全くなかった。
本当に病院の知識なんて皆無だったし。
ただ「人間関係が楽なとこがいいですね」と冗談交じりに言ったら、その時の人事が「それなら精神科がいいかもね」と勧められたので、私はそのまま精神科に配属されることになった。

私が配属されたのは精神科、それも閉鎖病棟だったのでスタッフの割合は圧倒的に男が多く、たしかに人間関係は小ざっぱりしていて非常に楽だった。
精神病やそれに類する病気の知識もなかったので、風呂介助やら患者の接し方、オムツ交換なども含めた身の回りの世話など、全部一から教えてもらったけど、意外と苦にならなかった。

入院患者の人たちと接するのも、入職当初はすごく気を遣って話さないといけないのかと思ったけど、意外とそうでもないので、一部の粗暴な人たちを除けば気楽なものだった。

ただ冒頭でも書いたように、とにかく病気が治る人がほとんどいなかったのだけは看護助手ながら「なんかなあ」とはうっすらと思った記憶はある。

印象的だったことをいくつか話す。

当時、まだ入職したばかりで右も左もわからない頃。


挨拶や声かけをしても、全く反応しない二十歳前後の女の子がいた。
非常に失礼な表現だが、その子は目線もどこを見ているか分からないし、一言も喋らないので人形が動いているようだった。
「うつ病になると人間ってこんなふうになるのか」と他人事ながら怖いなと思った。
しかし、それから何日かすると目に見えてその子は元気になっていき、ついには自分から「名前なんて言うんですか?」と私に質問してくるほどだった。
能面みたいだった表情も、穏やかになり顔色も目に見えて良くなった。
非常に分かりやすくその子が元気になったものだから、当時の私は「こうやって少しでも元気になっていく人たちのお手伝いができるのなら、この仕事も悪くないかもしれないな」と柄にもなく思ったほどだった。

しかし、次の日になったらその子は元気を通り越して、全裸になって洗面所の前で踊っていた
それを見て唖然として固まっていた私に対して、看護師さんたちは慣れたもんで、手を引いて自室へ連れて行った。

どうやらその子は双極性障害か何かだったようで、私に名前を聴いてきた頃は症状の波が比較的落ち着いた「ちょうど良い」状態なだけだった。
その子は数ヶ月で退院したものの、結局異様にハイになったり、電池が切れたようにダウンしたりを繰り返しながら、特に寛解することもなく別の病院に転院した。

クレーマー患者が1年経ったら別人みたいになってしまった

あるとき40代ぐらいの女性が入院してきた。
彼女は入院した当初はとにかくキレ散らかしていて「早くここから出せ」「訴えますよ」「私はこんなところに来たくなかった」など、職員を捕まえてはひたすら文句を言ってくる、という非常に迷惑な存在だった。
常に1.25倍速で喋ってくる感じで話していて疲れる人だった。
良く言えばキリっとしてる人と言えるし、悪く言えばとっつきづらくて目つきがやたら鋭い人だった。
もっとも数日も経つと、さすがに彼女も諦めがついたようで大人しくなっていた。
それから1年以上彼女は入院退院を繰り返すことになる。

そして1年の入院退院を繰り返した結果、彼女は別人になってしまった。
捲し立てるような喋りは完全になりを潜め、常に語尾を伸ばして喋るようになり、トークスピードは0.75倍速ぐらいに。
初期は自分が入院することに納得できずブチ切れていたのに、2回目以降は「またきちゃった~」と行きつけの飲み屋にでも来たみたいなテンションで当たり前のように入院を受け入れていた。

喋り方もそうだが、顔つきの変化も顕著だった。

何かの機会にその人が免許証を私に見せてきたが、目の前のその人と免許証の写真を見比べると、髪型や顔のパーツひとつひとつは同じなのに、同一人物に見えない。
何というか表情から凛々しさが消え失せ、完全に「ふぬけた」といった感じだった。
本人も「なんか顔が違う」と笑っていた。

私にはその人が、病気が良くなって穏やかになったというより、知能が低くなって幼くなったように見えた。
どうしてそうなるのかは、私にはわからない。

結局この人に関しても、私が仕事を辞めているため、その後に関しては知らない。


完全に壊れた親戚のおばさん

これは私の勤め先の話ではないが、私には子どもの頃、面倒を見てくれた親戚のおばさんがいる。

もともとは自分のアパレルの店を持っていて、そこそこ繁盛もしていた。だが株で大損して鬱になってから、20年近くうつ病を患っている。
入退院を繰り返しながら、今は閉鎖病棟でお世話になっている。
店は当然畳んだし、自分の家も売り払うハメになった。
心を病んで体も壊れて今はまともに歩くこともできないそうだ。
この間、うちの母が見舞に行ったらしいが、もはや完全に頭がおかしくなっていて、母のことも誰か分からなかったらしく敬語で怒鳴ってきたため、面会は5分もかからずに終わってしまったらしい。

終わりに

こんな感じで精神病が酷くなった人の大半は、入退院を繰り返す。
典型的な鬱の症状の人もいれば、暴れて手が付けられないような患者までいる。
だが、たいていの人は川面に沈む石のように、角が取れて落ち着いていくが、それは元の状態に戻るというよりは、感情が欠落していくような感じで、元気を取り戻しているとはとても言えない状態だ。
いきなり私に向かって椅子を投げてきた血の気盛んだった人もいた。
けれども、そんな血気盛んな人も入院生活の中で落ち着くようにはなるんだけど、理性的になったというよりは、牙を無理やり抜かれて大人しくさせられたって感じだった。
退院しても症状をぶり返す人だらけなので、患者の親が手に負えないということで、中には医者に金をこそっと渡して入院を長引かせようとする、なんてこともあるらしい

色々な病院があるので一概には言えないが、少なくとも私が見た限りでは、入院の必要が出るほどに酷い状態に陥ってしまったら、仕事への復帰はおろか、ごくごく普通の生活を送ることすら難しくなると考えて間違いない。

私も適応障害になってから3ヶ月近くが経過しようとしている。
焦る気持ちはある。
だが、またここで無理をすれば、取り返しがつかないことになりかねない。

しつこくて申し訳ないが、入院が必要なほどに精神を病めば、閉鎖病棟の常連になることが確約されると言っていい。
這い上がることは容易なことではない。

私と同じように適応障害になって、仕事復帰を急いでいる人もいるだろう。

以前にも別の記事で似たようなことを言ったが、こんなふうになるぐらいなら、その原因となるものから一刻も早く逃げるべきだし、焦る気持ちをおさえて深呼吸することって大事だと思う。

おわり





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