見出し画像

古典ギリシア語とラテン語の動形容詞の非人称表現の相違についての覚え書

いくつかの大学で古典ギリシア語とラテン語を教えている親しい友人が、オウィディウスの『変身物語』の読み合わせをやってほしいという。彼は西洋古典学科の博士課程を終えたのち、イタリア、イギリス留学を経て博士号を取ってきた、学会発表も本文校訂などを扱う優秀な人で、ギリシア語は私などよりずっとできる。だがラテン語講読の授業をするにあたって、ギリシア語ほど語法や語感に自信がないので付き合ってほしい、というのである。自分の勉強にもなるのでもちろん快諾した。

ラテン語に自信がない、といってもそれはギリシア語に比べればということだ(ギリシア語のほうはメールを全文ギリシア語でらくらく書いてくるくらいの能力がある)。ラテン語も、いい加減にしか読めないのに大学でラテン語を教えているような人(結構いるのだ)などよりはるかにできて、さすがに読み違えたりすることはまずないのだが、こちらとしては自分よりギリシア語ができる相手と読んでいるので、ふだんの授業では考えないことをいろいろ考えて参考になった。その一つが動形容詞の扱いである。動詞状形容詞、動詞的形容詞ともよばれるこの形態は古典ギリシア語・ラテン語いずれにもあるが、多少の違いはある。古典ギリシア語では二種類の形態(変格タイプ)があるが、ラテン語では一つである。ギリシア語で -τέος, -τέα, -τέον の単数主格語尾を持つものが、ラテン語の動形容詞とほぼ同じ用法を持ち、「~されるべき」という、受動で必然の意味を表す。そしてそれが中性単数でいわゆる非人称表現を作る(ギリシア語では中性複数で使われた古い例もある)。

ところでこの非人称表現における動形容詞は、対格の目的語を持つことがあるだろうか。古典ギリシア語ではそれはありうる。例えば

τοὺς θεοὺς καὶ τοὺς γονέας θεραπευτέον.
神々と両親を敬わねばならない

は、θεραπευτέον が中性単数で非人称であり、動形容詞が対格の目的語を取って「神々と両親を敬うこと」が「なされるべきである」という表現になっている。ではラテン語ではどうだろう。

オウィディウス『変身物語』の 57-58 で

His quoque non passim mundi fabricator habendum
aera
permisit ; …

という部分がある。「(世界の)創造者は、彼ら(風たち)にも至る所で大気を持つことを許さなかった」ということだが、この動形容詞 habendum は、中性の非人称ではなく人称用法男性単数対格で、aera は対格ではあるが目的語ではなく、fabricator permisit という主節が導く従属節の中の、いわゆる対格主語である。his は行為者の与格で、直訳すれば「彼らにおいても、世界のいたるところで大気が持たれるべきこと」を「創造者は許さなかった」となる。

ではこれを非人称表現とみて、「大気を持つことがなされるべき」と、aera を目的語と取ることは可能だろうか。ギリシア語なら当然それも想定されるはずだが、私も、そしてギリシア語が得意な彼も、経験的にそれはないだろうな、と思い、初めから考えなかったのだ。しかし念のためこの機会に文法書で確かめてみることにした。

Gildersleeve 427 NOTE 2. には、「非人称の動形容詞が対格の目的語を取る例は、PLAVTVS に一例 (agitandumst vigilitas, Trin.,896)、それ以外では古いラテン語(おもに VARRO)に時折見られる。  CICERO の例は特殊な用法で極めてまれ (Cat. M., 2,6)、CAESAR、HORATIVS、OVIDIVS、そしておそらくLIVIVS にも見られないが、後の時代のラテン語には散見する」としており、使用例としては

Aeternas quoniam poenas in morte timendumst,

という LVCRETIVS Ⅰ.Ⅲ の例を挙げている(太字は筆者)。つまり非人称として使われた中性の動形容詞が対格の目的語を取ることは、古典期のラテン語ではきわめてまれ、といってよいようだ。

繰り返すが、このことは専門的にラテン語を四、五年読んでいれば感覚として身につくことだ。だからこそわざわざ文法書で確認することはなかなかしないだろう。GildersleeveやKühnerを通読して内容を全部覚えている人などそんなにいないはずで、大抵は何か疑問があったときに調べるという使い方だと思う。しかし時たま、ものすごく優秀な人がギリシア語の授業に来て、ある程度勉強してからラテン語のクラスに来る、ということがある。そういう人から上記のようなことに関して「これはギリシア語と同じように対格の目的語を取れるのか」などという質問をされる可能性があり、それに対し「感覚的には古典期のラテン語ではないと思う」と答えるのと、「Gildersleeve 427 にもあるように…」と答えられるのとでは、授業の質も、生徒からの信頼度も変わってくるので、同学の士と自分のための覚え書として書いておくことにする。


いいなと思ったら応援しよう!