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店員さんが、ご主人様を呼び捨てにしている… 【にほんご迷子26】

「そうですね、ご主人の勤続年数から考えると、収入補償型とがん保険を見直した方がいいかも知れませんね。ええっと…奥様のご要望も加えるなら…」

そう話すのは、保険ショップ店員のサカガミさん。30代前半と思しき彼は、私と妻に保険の見直しについて説明している。最近はこの手の保険ショップがあちこちにあるが、利用した事は無かった。まあ、これだけ何もかも値上がりしてるのだから、家計の見直しは止むを得ない。

「例えば、ご主人が今亡くなられたとします。その場合、えっと、残された奥様の事を考えると…」

サカガミさんの話は、やや不慣れな感じがする。きっと転職して日が浅いのだろう。

それよりも、さっきから気になる事がある。

『ご主人でなく、ご主人様だろう』



誰もが、ご主人様という二人称に憧れた事があるだろう。それは、通常フィクションの中でしか登場しない。家来・執事・召使い・メイド・魔法使いなど、現実世界ではあまりお目にかかれない特殊な人々が、文字通り「ご主人様」に対して使う特別な言葉だ。

そして我々のような一般人が、ご主人様と呼ばれる為には、メイド喫茶に行くしかない。しかし、それは偽りのご主人様だ。いわば、ご主人様ごっこ。彼女達が、私を心からご主人様と思っているはずもない。

私が憧れるのは、本物のご主人様呼びだ。その夢を諦めたわけでは無い。いつの日か、本物の召使いやメイドから「初ご主人様」をいただきたい。

説明の序盤から、彼の「ご主人」呼びを聞いてる内に、これはつくづく惜しいと思えてきた。

彼は妻のことは「奥」と呼んでいる。その法則に則るなら、私が「ご主人」でも良いではないか?

既に「」が付いているのだから「主人」は二重敬語かも知れないが、そんな事はどうでもいい。彼はメイドでも召使いでもないが、少なくともこれは「ごっこ」ではない。私は今、人生における本物の「初ご主人様」をゲットできそうで、出来ないでいるのだ…


「それではご主人に、デジタルサインをお願いしますね…」

もう、だんだん「ご主人様」を呼び捨てにされてるような気がしてきた。初ご主人様は諦めるしかないのか…

「アレ?すいません… おかしいな…」

サカガミさんの様子がおかしい。申し込み端末の入力に手間取っているようだ。やはり入社して日が浅いのだろうか。

ご主人、申し訳ありません。まだ操作に不慣れでして…ちょっと詳しい者を呼んできますね…」

軽いピンチも、彼のご主人呼びを変える事はないようだ。で、上司らしき人が現れた。女性だ。

「すいません…スズキと申します。ここからの申し込みは私が引き継ぎますね」

スズキさんか…どうせ彼女もご主人呼びをするのだろう、と思ったが想像すると違うかも。全くの偏見だが、この手の女性店員さんに「ご主人」呼びは相応しくない。二重敬語だろうが、丁寧さの演出として「ご主人様」と呼ぶのがむしろ自然ではないのだろうか?

期待が膨らむ。しかも今度は女性だ…。
もうスズキさんの制服が、メイド服にしか見えない。

さあ、言うんだ。ご主人様と….


「では、旦那様の生年月日からお願いします」



旦那様か…

まあ、いいだろう。
これはこれで憧れの言葉だ。

さすが上司だけあり、スズキさんは優秀だ。

旦那様を呼び捨てにしないのだから…



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