テキスト賢者が、話すと微妙になる理由
チャット等のテキスト上では、とても賢そうに見えるのに、直接話すと残念になる人がいる。というか結構多い。逆に、話が知的でわかりやすい人が、テキスト上で残念にみえるパターンはあまりない。
テキスト上で賢くみえるという事は、その人の考え方や伝え方の水準は高いはずだ。「直接話す」事で印象が下がるのは、なんとももったいない。
どんな原因が考えられるだろう。
文語と口語の違い
当然だが、「書きことば」と「話しことば」は違うので、それがそのまま印象の差異につながっている事が、第一に考えられる。特に注意したいのは、無意識に追加される「フィラー」や「口癖」だ。
フィラーや口癖は、賢さとは関係なく無意識に追加されるので注意したい。
音声と見た目の影響
上記のように「言葉そのもの」に加えて、聴覚情報としての「音声」、視覚情報としての「見た目」の影響はさらに大きい。
身も蓋もないが、
「声がいい」だけで、見た目や素振りが「シュッとしてる」だけで、印象が上がる場合がある。
つまり逆もあり得るという事だ。
整える時間がない
人にもよるが、地味にこれが一番影響してるかもしれない。ここでの「整える」は、自分の考えを相手に伝わるように、アウトプットを推敲する行為だ。(書く時はテキストをみながら、話すときは頭の中で)
「書く」は、整える時間がある
書くの場合は大抵、自身の文を見直す時間や、そもそもどう書くかを考える時間がある。リアルタイムでタイピングで会話をする機会は、少なくともビジネスシーンでは稀だろう。
対して、
「話す」は、整える時間がない
我々の発話のほとんどは、咄嗟のやりとりの応酬である「会話や対話」の場面で生じる。故に、整える時間はない。ちょっとした「間」があるとしてもせいぜい数秒レベルだ。
整える時間があるプレゼンやスピーチが発話の中心である人は稀だろう。
テキストだと賢そうなのに、話すとあんまり・・・の主たる原因が
「整える時間がない」であるならば
「整える時間さえあれば」解決する事になる。
でも整える時間はない。
いや、ないのではない。
正確には「ない」のではなく、
整える事に使える時間が「短い」だけだ。
という事は、
「整えるのに必要な時間」を短くすればいい。
じゃあどうやって短くするか・・・・。
その方法を整える時間がないので、またにする。