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テキスト賢者が、話すと微妙になる理由

チャット等のテキスト上では、とても賢そうに見えるのに、直接話すと残念になる人がいる。というか結構多い。逆に、話が知的でわかりやすい人が、テキスト上で残念にみえるパターンはあまりない。

テキスト上で賢くみえるという事は、その人の考え方や伝え方の水準は高いはずだ。「直接話す」事で印象が下がるのは、なんとももったいない。

どんな原因が考えられるだろう。

文語と口語の違い

当然だが、「書きことば」と「話しことば」は違うので、それがそのまま印象の差異につながっている事が、第一に考えられる。特に注意したいのは、無意識に追加される「フィラー」や「口癖」だ。

【フィラー】
「あの~」「その~」「ええと~」など会話に挟み込まれる言葉

【口癖】
①「・・・に、関しては」「・・・のような形で」「やっぱり」「正直」など、省いても支障がない、全く意味をもたない口癖
②「どうせ」「意味がない」「どうでもいいけど」など、本人は無意識に使っているが、聞き手に対してなんらかの意味・印象を与えていまう言い回し

一般論+マイ見解

フィラーや口癖は、賢さとは関係なく無意識に追加されるので注意したい。


音声と見た目の影響

上記のように「言葉そのもの」に加えて、聴覚情報としての「音声」、視覚情報としての「見た目」の影響はさらに大きい。

身も蓋もないが、
「声がいい」だけで、見た目や素振りが「シュッとしてる」だけで、印象が上がる場合がある。

つまり逆もあり得るという事だ。


整える時間がない

人にもよるが、地味にこれが一番影響してるかもしれない。ここでの「整える」は、自分の考えを相手に伝わるように、アウトプットを推敲する行為だ。(書く時はテキストをみながら、話すときは頭の中で)

「書く」は、整える時間がある

書くの場合は大抵、自身の文を見直す時間や、そもそもどう書くかを考える時間がある。リアルタイムでタイピングで会話をする機会は、少なくともビジネスシーンでは稀だろう。

対して、

「話す」は、整える時間がない

我々の発話のほとんどは、咄嗟のやりとりの応酬である「会話や対話」の場面で生じる。故に、整える時間はない。ちょっとした「間」があるとしてもせいぜい数秒レベルだ。
整える時間があるプレゼンやスピーチが発話の中心である人は稀だろう。


テキストだと賢そうなのに、話すとあんまり・・・の主たる原因が

「整える時間がない」であるならば

「整える時間さえあれば」解決する事になる。

でも整える時間はない。

いや、ないのではない。
正確には「ない」のではなく、
整える事に使える時間が「短い」だけだ。

という事は、
「整えるのに必要な時間」を短くすればいい。

じゃあどうやって短くするか・・・・。

その方法を整える時間がないので、またにする。


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