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大きすぎても、小さすぎても責められる。程よい「声量」が求められる社会。


「声がでかい」と言われる事が、頻繁とまではいかないが増えた気がする。

家族が言うには、歳をとると耳が遠くなるから、声がでかくなるのだという。

そんなものかな、と思いつつ同意しかねるのは、他人の声が「でかいな〜」と感じる事がそれ以上に増えてるからだ。つまり聴力の問題ではない?

いや、「この人声小さっ」と感じる事も同様に増えているので、やはり耳遠くなった?

自身も周りも、以前より「声量」を気にするようになってるので、これは社会全体の傾向かも知れない。

原因を考えてみる。


リモートの機会が急増した。

Zoomなど、リモートでのやりとりがすっかり普及しているが、どこでもできてしまう故に周りの声を拾ってしまう事も多い。拾っている側も、拾った事が聞こえてる側も、「隣のやつ声でかいな〜…」と感じる機会が必然的に増えてしまう。


ボリューム調整に慣れすぎた。

同じくリモートの場合、相手の声量は基本自分の手元で調整できる。ところがリアルの場合は自身では調整できないので、そのギャップが気になってしまう。
また、ボリューム調整も万能ではない。
「ボリュームMAXなのにこの人聞こえないな…」なんて場合もやはり声量は評価される。



何事も、「程よい」事が良しとされる。

「声量は大きすぎても、小さすぎてもよくない」
なんて感覚は、少なくとも10数年前は希薄だった。

昔から声が大きい人も小さい人はいた。
でもそこまで気にならなかった。

リモート云々の環境変化は表面的な要因で、
根底にあるのは社会の非寛容にあるのかもしれない。



「程よくない事」は何でも非難されるし、その適用範囲は日増しに拡大していく。

結果、たかだか声量を気にして、悩むのが当たり前の社会になる。

「声量が55dB以上の人とは結婚できない〜」

なんて日も遠くないのかも知れない。


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