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21歳で潰瘍性大腸炎になった話②

結局1ヶ月半入院した。死ぬかと思った。
ちなみに1ヶ月間一切食事を取れなかった。点滴で栄養を補っていたが無論それだけでは栄養不足で53キロあった体重は42キロまで落ちた。死ぬんだと思ったしほぼ死んでいたと思う。栄養が足りなくなると寝返りするだけで体が攣り、トイレに座る時も全身が攣る。お風呂は1人30分と決まっているが立っている事がしんどく、とても30分では間に合わない。1時間頼んでお風呂に入っていた。夜は寝汗を大量にかき、着ていた洋服はびしょびしょだ。点滴をしている為トイレの頻度が多く、深い眠りにはつけなかった。

治療の経過として、まず謎の血小板の数値の原因を調べるため骨髄から組織を取った。鈍痛がして「うぐっ」と言った。先生はいたって冷静。地獄絵図で草🌱だった。
結果、特発性血小板減少紫斑病だった。血小板が少なくなってしまう病気らしい。
当時私はトイレ行くたびに出血しており、そこで血を止める役割をする血小板が足りないことからいずれ出血多量で死ぬらしい。何回も輸血した。
次にステロイド治療を始めた。
血小板減少を止める役割と潰瘍性大腸炎にも効くからはじめたが潰瘍性大腸炎には効かなかった。よくなるどころか悪化。トイレするたびに真っ赤になった便座を見て気を失っていた。もう助からないのだと思った。

ある日大腸検査のために下剤を飲んだ。するとお腹に刺すような痛みがした。いても立ってもいられずナースコールを押した。動けなくなっている私をみて急遽内視鏡ではなくmriに変更。
検査結果は腸がえぐれている状態らしく、全摘すると言われた。外科の先生がきて色々説明されたが痛みで意識が朦朧としていてよくわからなかった。造影剤の副作用で吐き気もあってとりあえずなんでもいいから勝手に切ってくれと思っていたなあ。
内科の先生がレミケードという薬があるが今から使って効くかがわからないと言っていたらしい。それを聞いた母は全摘の前に今すぐでもそれを投与してくださいと怒り気味で言ったそうだ。
看護師がバタバタと来てレミケードを点滴に混ぜてきた。何されてるのかようわからなかったがこれが相性抜群だったのだ。日に日に調子が戻った。血は止まり、血小板の数値も戻ってきた。

数日が経ちご飯を食べた。この時飲んだ味噌汁の味が忘れられない。涙が出た。私は誓った。2度と好き嫌いはしない、と。

そこから退院して今は仕事もテニスもできている。月1回くらいは通院しているが毎日楽しく過ごしている。
当時レミケードを使ってと言ってくれた母に感謝しているし、お味噌汁作ってくれた人にも感謝をしている。何より看護師さんお医者さんは神だ。あんなに尊い職業はないだろう。

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