
僕が僕であるために
”僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない”
尾崎豊の名曲の一節だ。
まさにその通りだと思う。
ただ、勝たなくとも肉体は残るし、主観では自分は自分であるようにも思える。
”私以外私じゃないの”と言うが、目の前にある水を飲んだ時、この水は私では無いのか。
”僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない”も同じ話のように思える。
ところで、人間を人間たらしめるものはなんだろうか。人が他の生物と違うところは沢山あるが、1番はやはり、数十年、それ以上先の未来を考え行動できることだろう。人は遥か遠い未来を見据えて生きていくのだ。人が考える未来とは我々の夢である。不老不死になりたい。空を自在に飛びたい。その夢こそが未来をつくりあげていく。つまり、人間は夢を見ることで人間たりうる。
人は夢を諦め、妥協すると新しい夢を見る。勝ち続けられなかった時、方向転換をして新しい夢を見るのだ。また、負けてしまった夢に再び挑む時でも、それはまた新しい夢である。人は夢を見ることが本質であり、夢を見ない人は人ではない。つまり、夢を諦めた時、その夢を見ていた自分は死ぬのだ。新しい、妥協した夢を見る人に生まれ変わる。それこそが僕が僕であるために勝ち続けなきゃならないの意味である。僕が勝ち続けられなくなった時、自分は死ぬ。それこそが僕が僕でいなくなるということだ。
そういった意味で、僕が僕であるために勝ち続けなくてはならず、私以外私じゃないのとは違うのだ。
ただ、その自分が死んだからと言ってその肉体まで滅ぶ訳では無い。それでも人は生きなくてはいけないのだ。
人は夢を見るために生まれたきた。その本質は夢を見ることにある。ただ夢を見るために生きたいとは自分は思っていない。やはりまだ生きる理由というものは私には分からない。
生きるとはなんだろう。