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「隠者」 小説:本多裕樹

「隠者」 小説:本多裕樹







朝から何をしていたのか?人の話を聞いていて有益な情報を得られた感じのあの幻、それは本当にあったのかなかったのか、誰かいた。その話の内容すら今は覚えていない。だから夢なのだろう。僕はただ「うん、うん」と頷くだけで、その者の話を聞いていた。


 その人は美しい人ではない。むしろ世間的には裕福にも見えない。まるで仙人のようで、話は無視できない。重要なことだった。中年の男性のようでいわゆる貧相ですらあるが、僕は話を聞いていた。古来、重要なメッセージを天の神は浮浪者やホームレスに語らせるという。


だが、その話の内容を忘れた。


隠者の言葉の余韻はある。不気味であったが、その人を大切にしないと罰が当たるくらいのオカルト感がある。


「うん」


「・・・・・・・???????。」


「はい」


「??????・・・・・・・?。」



僕はその隠者を賓客のように対応した。かつて昔の中国の秦末期に張良に出現した黄石公のように、それを例に、僕は礼儀を守った。



その隠者を賓客のように礼を尽くすことでまた禍を避けることになる。もし失礼な態度で暴力でもってすれば神は僕を何らかの罰で苦悶させ運すら失わせることを実感した。恐ろしくもあり、天罰を避けるように、・・・。


その隠者は天使かもしれない。もしくは主の化身かもしれない。聖書にはそういう浮浪者の預言者がよく出てくる。丁重に対応し、話を聞く。



「?・・・・???・・・???。」


怪異はすぐそばにあるが、話が終わった。



時のうずめに終わりありても、誰に対しても大切にあつかうことは天使をもてなすことだ。もし、預言者を粗末にあつかえば運は逃げる。


ちょっと前、少し前か、数週間前、その同じような隠者ではないが、偉い芸術家の個展に行った。なかなか帰らしてくれなかった。失礼の無いように僕は緊張していた。作品は古かった。彼はイタリアのルネサンスとか中世の宗教画を描いている老人だった。


古い絵を見て、僕も僕なりの感想を述べた。レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンをその老人は体得していた。その修練を若い頃からずっと続け、版画やペイントにしていた。


僕は礼を尽くした。


「今度、絵を教えてあげる。来週の土曜日、個展最終日に来なさい」そう言われて断れないので、その次の週の土曜日に開廊時間の朝一で行き。いらっしゃられなかった。しばらく展示作品を見て、


「古い」とつぶやき作品を鑑賞した。


その古さは尊いものであるし、人がなかなか到達できない絵なのであるが、中世で時が止まる。それがいいのかよくないのか、わからず。


しかし、老人に、もしくは隠者や浮浪者には丁重にしなければいけないと思った。


銀筆を教えてくれるはずだったが、いらっしゃらないので蕎麦を食べに行きそのまま他の場所に遊びに行った。



その隠者にまた会った。


どうしても銀筆を教えたいらしくて、しかし、僕は労働のあとで疲れていたのでなるだけ避けた。この日はまたお世話になっている人の展示の個展であったのですが、二次会に行かず帰路に着いた。



もう、ルネサンスの老画家にまともに会えないだろうと思ったが、また、展示ですれちがった。数時間前にその老画家はいたらしい。


そもそも、その老画家は初めから僕そのものに関心なんてなかった。名前も間違い、時間も奪う。失礼でぞんざいであった。もし、僕が銀筆を学んだとて何があったのであろうか。


もしかしたら、老画家は黄石公であったのではないか、



もう、あまり僕には関心も興味も無くただ微かな残像でしかないのだろう。


僕は老画家から得られるであろうチャンスを失った。


そして、老画家の隠者も自らの絵の腕を披露したかったのであろう。そのことに関して申し訳なく思うし、霞に教えようとしているわけだからなんとも言えない。



僕は、少し絵を描いたりするのでありますが、無名である。


無名すぎて、素人に見えるそうだ。


または書生のような立場にとらえられる。



僕自身もあまり自分が絵をやっていることを知らせない。無為でありたいし自然な空気でいたいと思っている。


また、隠者が出現して、市の公募展で僕は書の部門で応募、搬入に行った。後ろから老人が「なぜ、絵に出品しない。絵は描いているのだろ」と言う。

「はい、書の部門に出します。」

「う~ん」


僕は洋画の部のコーナーの搬入受付のところに軽く会釈をしてその場を出た。


多分、その市の展覧会の洋画コーナーの雑用とか展示とかを手伝ってもらうために人材確保したいのだと理解した。しかし、書に出品してしまうので裏切りに思ったのだろう。それはそうだ。僕はその日、いくらからその老人たちの気持ちを感じ悶々とし苦しんだ。



その市展には洋画の部門で5回ほど出品し、書道の部門に3回出品した。年に1回に一作のみである。僕はもういい歳で運営とか実行委員とかしなくてはならない年齢なのである。42歳で責任を取らなくてはならない年代であるのだから、もう一般出品でなく、手伝わなくてはならないことを理解した。老人にばかり任せてはならないのだ。四十代になれば公共に尽くさねばならないのは本当のところである。


それで苦悶した。



隠者、老人、浮浪者、ホームレス、預言者、天使、などなど。



同じことだ。


何か重要な警句なりヒント、メッセージは彼らからやってくる。



誰も、そのような社会的立場の弱い人を無視してはいけない。なんらかのチャンスもあったし、彼らは神からのメッセージをもち来たらす。



粗末に扱っては罰がやってくるし、禍がくる。そのかわり、その警句によって禍を避け、知恵が得られることもある。




隠者のタロットのアルカナはそう教えてれる。




2024年10月15日

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