私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑰
アチャン・チャー
二人とも
「こんな生活は、もううんざりだ」
と言っていましたが、それは自分をごまかしているだけです。クティの中で一人静かに座っていると、やがてこんな思いが心に浮かんできます。
「いつになったら、女房(旦那)は自分のことを心配して、迎えに来てくれるんだろう?」
二人は相手もお寺にいることを知りません。一体なぜ、彼らは日常生活に「うんざりだ」と感じたのでしょうか? 彼らは二人とも、相手に腹を立ててお寺にやって来ました。家にいるときは、夫(妻)のやることなすこと全てに、腹が立ちました。ですが、3日間お寺で心静かに過ごすと、
「う~ん、やっぱり女房が正しかった。間違っていたのは私のほうだった」
「旦那の言う通りだったわ。あんなに怒らなければよかった」
などと簡単に、彼らは考えを変えます。そんなものです。ですから、私は世俗の出来事をあまり真剣に受け止めません。このように世間を捉えていたため、私は出家の道を選んだのです。
今日話した法話を踏まえて、皆さんに宿題を一つ出したいと思います。村で農業をしている人も、都心で働いている人も、自分の胸に尋ねてみてほしいのです。
「自分はなぜ、この世界に生まれてきたのか? 来世に持っていけるものは、何なのか?」
この言葉を、繰り返し自問自答してみてください。そうすれば、自ずと智慧が育つことでしょう。この問いを参究しなければ、無知なままです。今すぐ理解できなくても、参究を続ければいずれ理解できることでしょう。いつ分かるとは断言できませんが、もしかしたらその答えは今晩訪れるかもしれません。お寺から帰る車の中で、何か閃く可能性もあります。家に帰ったら、
「あぁ、さっきは分からなかったけど、ルアンポーの言っていたことは、こういうことか」
と理解できるかもしれませんよ。
今日の法話はこのくらいでいいでしょう。老いた身体には、長時間の法話は堪えるものですから。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .