四聖諦 ⑪
アチャン・チャー
だからこそブッダは、現象を観察し、「これは『私』ではない」「これは『私のもの』ではない」と気づくこと以上の修行は無い、と説いたのです。「私」や「私のもの」といった概念は、世俗諦に過ぎません。この事実を明確に理解すれば、私たちは心の平安を得ることができます。今すぐ無常という真理を受け入れ、あらゆる現象は「私」でも「私のもの」でもないということを理解すれば、何を失っても、私たちは平穏でいられます。実際のところ、あらゆる現象は、地、水、火、風という4つの要素が一時的に集まったものに過ぎないのですから。
確かに、このことを理解するのは難しいですが、不可能というわけではありません。無我が理解できれば、私たちの心は安定し、欲、怒り、無知といった感情に振り回されることが少なくなります。心の中に、常にダンマがあるようになるのです。そうなれば、嫉妬や恨みといった感情とは無縁でいられます。なぜなら、私たちは誰もが単に、地、水、火、風という4つの要素が一時的に集まったものに過ぎないのですから。それ以上のものは、何もありません。この真理を理解すれば、ブッダの教えの核心が理解できるでしょう。
無常や無我といった、ブッダが説いた真理を理解することができるのなら、何人もの瞑想指導者の道場を、渡り歩く必要はありません。瞑想指導者の法話を、毎日聴く必要もありません。真理を理解したのなら、あとは必要なことを実践するのみです。それにもかかわらず、多くの修行者の瞑想が上達しないのは、彼らが教えを受け入れず、指導者に対して論争を挑んだりするからです。瞑想指導者が目の前にいるときは、いくらか大人しくしていますが、ちょっと指導者が目を離すと、途端に泥棒のような振る舞いをします! 他人に瞑想を教えるのは、本当に大変です。タイ人はこんな性格だから、これほどたくさんの瞑想指導者がタイにはいるのでしょうね。
(続く)
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .