四聖諦 ③
アチャン・チャー
苦しみには、「普通の苦しみ」と「特殊な苦しみ」という、2種類のものがあります。普通の苦しみとは、私たちが立っているとき、座っているとき、横になっているときに感じるもので、私たちが現象の世界に生きている以上、逃れることのできない性質のものです。ブッダでさえ、生きている間は、この法則から逃れることはできませんでした。ブッダもまた、私たちと同様に、時には苦を時には楽を経験しましたが、彼はこれを自然の法則として受け入れていました。そして、楽や苦というものをただ受け入れるだけでなく、それらの本質を理解することによって、乗り越えることが可能であることも知っていました。そのため、「普通の苦しみ」に直面しても、ブッダはそれに動揺することはなかったのです。
重要なのは二番目の「特殊な苦しみ」のほうです。私たちは病気になると、病院へ行って、注射をしてもらうことがありますね。注射をするとき、針が皮膚に刺さると、多少の痛みを感じます。ですが、これはごく普通のことです。そして針を抜くと、その痛みは消えます。これは「普通の苦しみ」です。特に問題にするようなものではありません。それに対して、「特殊な苦しみ」とは、現象への執着(upādāna)から生じるものです。これは、毒の入った注射器で注射をするようなものです。その際生じる痛みは、ただ痛いということにとどまらず、私たちを死に至らしめます。現象への執着(upādāna)から生じる苦しみとは、それほど恐ろしいものなのです。
(続く)
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .