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静止しつつ流れゆく川 ③

アチャン・チャー

 瞑想によって心の安らぎを見出そうとするのなら、まず「心の安らぎとは何か」ということを理解しなくてはなりません。その点が理解できていないのなら、心の安らぎを得ることは、決してないでしょう。例えば、今日、この僧院に来るときに、あなたがとても高価なペンを持ってきたとしましょう。初めは上着の前ポケットにペンを差していましたが、その後、別のポケットに入れました。しばらくして上着の前ポケットを触ってみると、ペンがありません! あなたは急に不安になります。ペンをなくしたと勘違いしているために、不安になったのです。実際には、ペンはなくなっていません。勘違いによって、苦しみドゥッカが生じたのです。立っていても、歩いていても、なくなったペンのことが気になって仕方がありません。思い違いは恐ろしいものです。
「なんてこった! 数日前に買ったばかりの高価なペンをもうなくしてしまった!」
と嘆き悲しむことになる。間違った理解によって、苦しみドゥッカが生じたのです。
 
 ですが、そこで思い出します。
「あぁ、そうだった! さっきペンを、後ろのポケットに入れたんだった」
そのことを思い出した瞬間、まだ実際にペンを見ていなくても、不安は吹き飛ぶのです。もうペンのことは心配しなくていいので、幸せな気分になります。後ろのポケットを確認してみると、ペンはそこにあります。実際にはそこにずっとペンはあったのに、自らの心によって、あなたは欺かれたのです。心配は、己の無知モーハから生じたのです。ペンを実際に見れば、心配は消え、心も落ち着きます。この落ち着きは、苦しみの原因サムダヤを見ることによって、生じるものです。そして、ペンが後ろのポケットに入っていることを思い出した瞬間、苦しみは消滅ニローダしたのです。
 
(続く)

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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星 飛雄馬
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