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静止しつつ流れゆく川 ①

アチャン・チャー

 今日は集中して、法話を聴いてください。心がさ迷わないように、注意するのです。山や森の中で、一人で座っているような気分で、話を聴いてもらえればと思います。今、ここで座って話を聴いているあなたは、何を持っていますか? 身体と心、それだけですよね。今、ここに座って、私の話を聴いている物体はあなたの「身体」です。そして、「心」とは、今、この瞬間に対して気づき、思考をするものです。仏教ではこの「心」をナーマ、「身体」をルーパと呼びます。ナーマとは物質ルーパではないもの、言い換えるなら、形のないものを指します。五蘊のうち、受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の4つはナーマであり、それらはすべて形のないものです。私たちの目が何かの形を見るとき、その形がルーパであり、それを認識する働きをナーマと呼びます。これら二つは合わせて名色ナーマ・ルーパと呼ばれ、それは言い換えるなら、私たちの心と身体のことです。
 
 今、ここに座っているのは、心と身体だけであるということを、理解してください。私たちは、この心と身体という存在を、混同しがちです。もし、心の平安を望むのなら、心と身体の真の姿を知らなければなりません。今、まだ皆さんの心は十分に訓練されていません。その心は煩悩で汚れており、清らかではありません。ですから、私たちは、瞑想の実践を通じて、自分の心を育てていかなければならないのです。
 
 瞑想とは、何か特別な姿勢で、座っておこなうものだと思っている人がいます。けれども、実際は、立つ、座る、歩く、横になるといった動作すべてが、瞑想になります。ですから、皆さんはいつでも瞑想を実践できるのです。「サマーディ」という瞑想用語があります。これは、「しっかりと安定した心」という意味です。サマーディを身につけるために、頑なになる必要はありません。時々、何者にも邪魔をされない、静かな環境で、心の平安を得ようと努力をする人がいますが、それでは死人になろうとするのと同然です。サマーディとは、あくまでも智慧パンニャを養うための修行なのです。
 
(続く)

アチャン・チャー『Living Dhamma』より

"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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星 飛雄馬
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