私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑩
アチャン・チャー
未来に生じるであろう苦しみを、私たちは予想することはありません。そんなことは起こらないだろうと思い込んでいるのです。そうしてそれが起こって初めて、苦しみとはあらかじめ予見できないものであると、理解するのです。私は子どもの頃、水牛の世話をする傍ら、よく炭を歯磨き粉の代わりにして、歯を磨いていました。家に帰って鏡を見ると、歯は真っ白です。自分の歯はきれいなんだな、と子ども心に思っていました。ですが、それは大きな間違いだったのです。50代、60代になってくると、私の歯はどんどん悪くなっていきました。歯がぐらぐらしていると、食事をするとき、口の中に激痛が走ります。ですから、私は歯医者に行って、歯を抜いてもらうことにしました。それで結局、今ではほとんど入れ歯です。歯がぐらぐらしているときは、本当に痛かったので、一度に16本もの歯を抜いたこともあります。一度にそんなに多くの歯を抜くのは身体への負担が大きいと、歯医者は歯を抜くことを渋りました。ですが彼に対して、私は言いました。
「責任はわしがとるから、とにかく早く歯を抜いてくれ!」
最終的に、歯医者は一度に16本の歯を抜くことに同意しました。それでもまだ5本程度は健康な歯も残っていましたが、それ以外は全部の歯を抜いたのです。あの時は、本当にひやひやしたものです。歯を抜いてから2、3日は、何も食べられませんでした。
水牛の世話をしていた幼い頃、私は歯を磨くことはとてもよいことだと思っていました。自分の歯は大切なもので、大事にしなければならないと信じていたのです。ですが結局、私はほとんどの歯を失ってしまいました。歯が悪くなってからは、何年もの間、歯の痛みに悩まされました。上下の歯茎が、同時に腫れることもあったのです。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .