私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑤
アチャン・チャー
世間の人々は、髪や爪、歯、肌といったものに、本当に執着しています。ブッダはこの5つのものを基本的な瞑想の対象と定め、よく観察するようにと説きました。しっかりと観察してみると、それらが無常で、不完全で、所有者がいないものであることが、よく分かります。この5つのものは、「私のもの」でも「誰かのもの」でもありません。私たちは、生まれたときからこうしたものに惑わされていますが、実はそれらは、本当は清らかなものではありません。仮にあなたが、一週間お風呂に入らなかったらどうなりますか? ひどく臭うのではないですか? 大勢で肉体労働をしたときなど、汗をたくさんかくと、その臭いはひどいものです。家に帰って、石鹸と水を使って身体を洗えば、汗の臭いは消えたような気がします。しかし、身体の臭いが収まったのは、あくまで一時的なものです。時間とともに石鹸の臭いが消えれば、また段々と身体が臭くなってくるのです。
私たちは自分の身体を、きれいで、丈夫で、長持ちをすると思いがちです。老いること、病気になること、死ぬことなどは、想像もしません。私たちは肉体に魅了され、惑わされているので、自分自身の中にある真の拠り所(帰依所)を知らないのです。私たちの真の拠り所(帰依所)は、心です。この瞑想ホールはかなり大きいかもしれませんが、真の拠り所にはなり得ません。鳩や、ヤモリや、トカゲも外の危険を逃れて、この瞑想ホールへと、避難をしにやってきます。私たち人間は、この瞑想ホールは自分たちのものだと思っているかもしれませんが、そうではありません。実際は他の多くの生き物たちと、一緒に暮らしているのです。ですから、この瞑想ホールは単に一時的に滞在をする場所に過ぎません。ですが、世間の人々はそういった場所を真の拠り所であると、勘違いをしてしまうのです。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .