私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑫
アチャン・チャー
ですから、修行をするのなら、若いうちに始めるのがよいのです。「仏道を実践するのは、年を取ってからでいい」などと考えずに、思い立ったら今すぐ、実践を始めるべきです。世間のほとんどの人々は、「ダンマを学ぶのは、年寄りになってからでいい」と考えています。男性でも女性でも、その意見には変わりはありません。私は彼らがなぜそんなことを考えるのか、理解できません。年を取れば、若い頃より体力が低下するのは、間違いないのですから。若者と年寄りが徒競走をして、年寄りが勝ちますか? なぜ、年を取るまで仏道に取り組まないのですか? 彼らは皆、自分が死ぬことなど想像もしないのでしょう。そうして実際に年寄りになった頃、孫が
「おばあちゃん、お寺に行こうよ!」
と言っても、
「おばあちゃんは耳が遠いから、お前ひとりでいっておいで」
と答えます。耳がよかった頃、彼女は何をしていたのでしょうか?
「さぁ、俺には分からんね」
と言い、野イチゴを摘むのに夢中になっていたのです。彼女がようやくお寺に行ったのは、耳が聴こえなくなってからでした。けれども、もはや手遅れです。耳が遠くなってしまった彼女には、僧侶の法話が聞き取れなかったのです。悲しいかな世間の多くの人々は、加齢によって、すっかり自分の体力が低下してしまって初めて、ダンマに関心を持つのです。
今日の法話は、それを理解できる人にとっては役に立つものとなるでしょう。私たちは、自分自身の身体を真剣に観察するべきです。それは年を取るにつれ、私たち一人ひとりが背負わなければならない重荷となっていきます。若い頃は足も丈夫で、走り回ることもできました。でも、今は歩くだけで足が重だるくなってしまいます。若い頃、この足は私を支えてくれました。それが今は、私のほうが必死になって自分の足を運ばなければならない始末です。子どもの頃、お年寄りが椅子から立ち上がるとき、うめき声をあげるのを耳にしたことがあります。身体が弱って、立ち上がるのがしんどいので、うめき声をあげているのです。ですが、彼らは自分がうめき声をあげている理由を、理解してはいないようでした。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .