私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑭
アチャン・チャー
タイでは昔、誰かが臨終になったら、家族がそばに寄って、耳元で「ブッドー ブッドー」と唱えるようにと言われていました。ですが、そんなことをして、一体何になるのでしょうか? 今、まさに火葬されそうな状態の人に対して「ブッドー」と唱えることによって、何が変わるというのでしょうか。そんなことをするくらいなら、なぜ若くて健康なときにブッドーと唱えること(仏随念)を実践しなかったのでしょうか? 呼吸が乱れた病人の耳元で、世間の人々は言うのです。
「お母さん、聞こえる? ブッドー! ブッドー!」
そのようなことをするのは、単なる時間の無駄ですし、かえって瀕死の母親を混乱させることになるだけです。それなら、静かに母親を看取ったほうが、彼女のためにもなるはずです。
世間の人々は自分の心の中にある問題を解決する方法を知りません。そして、彼らには心の拠り所(帰依所)もありません。彼らがなぜ、いつも欲にまみれ、イライラしているか分かりますか? なぜなら、彼らには心の拠り所(帰依所)が無いからなのです。
世間の人々の多くは、結婚をして、夫婦になります。新婚の頃は仲良く暮らしていますが、50歳くらいになってくると、互いのことが段々理解できなくなってきます。妻の言うことはどれも、夫にとっては受け入れがたいものですし、夫が何を言っても、妻は耳を傾けなくなります。そうして、夫婦は互いに背を向けるようになるのです。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .